Rhett May (レット・メイ)
30年以上活動しているレット・メイが所属していたバンド”ウーリー・ブーリー”の楽曲がブルックボンドコーヒーのコマーシャルに使用され、これが最初の大きなブレイクとなる。
ユニークなサウンドとスタイルを持つレット・メイは1950年インドのカルカッタにて生まれる。シターやタブラといったインド特有の音楽や楽器からメロディーやパーカッションの中で育ち、彼の音楽に大きく影響することとなる。学校入学後は西洋音楽に触れ始め、モンキーズ、クリーム、ジミー・ヘンドリックス、エルビス、リッキー・ネルソンなどを聴き育つ。常に音楽のある環境で育ったレットはこう語る『母と父はいつもレコードをかけていた、その頃はテレビもなかったし。特に覚えているのは”マーティ・ロビンスの“A White Sport Coat (And a Pink Carnation)”で美しいボイスとハーモニーだ。』インドの文化と音楽を西洋音楽をミックスさせたサウンドが彼の音楽の特徴となる。
レットの最初のバンド、”ウーリー・ブーリー(Wooly Bullys)”は15歳の頃プレストン・ボテロと幼なじみジェームス・ペインと共に結成された。1966年、バンドバトルで優勝し、後数々のベニューで演奏、人気を勝ち取る。その後ウーリー・ブーリーは”ザ・フリント・ストーン”と解明され、多くの音楽雑誌の表紙を飾り、ザ・フリント・ストーンはインドで最も成功したポップグループとなる。ファーストシングル”Be Mine(Happy by My Side)"は大きな成功を収め、ビートルズのジョージ・ハリスンやアップルレコードからの注目も浴びる。バンドはイギリスに移住することを進められ、伝説的ジャズギタリストチャーリー・バードと共に宣伝された。
ブータンの王妃とその一族のためにプライベートライブを行ったりとレットにとって大きな成功を得た時期であったが、これは始まりに過ぎなかった。『60年代はヤードバーズ、ステッペンウルフ、ビートルズ、ハーマンズ・ハーミッツといった音楽にハマっていた。』レットの音楽やスタイルは60年代の音楽に大きく影響されている。1969年、レットはインドを去りプロとしてのキャリアをオーストラリアでスタートさせる。71年トルバドールズがバックについたパースのタレントショーで優勝し、ソロアーティストとして活動を開始。ソロ活動だけに収まらず、インドで成功したバンドをオーストラリアでも再活動させ、インドからの’ガレージバンド’は”シェイクスピア・サラニ”から”プロディジー”そして”ルシファー”として名前を変え成功していった。
しかし70年代が過ぎ、世はディスコブームとなるとレットのバンドの需要も減り、彼の音楽キャリアもアップダウンしていった。一番の大きな変化は、レットの幼なじみで音楽仲間であったジェームス・ペインが音楽ビジネスを去ったことであった。ジェームスの影響は計り知れなかった。しかし後ジェームスは戻り、レットの未来の音楽活動に大きく光を放つことになる。ディスコシーンがオーストラリアで定着すると、レットはポピュラー音楽から離れることにする。彼の粘り強い性格でビジネスの世界でも音楽と同じように成功を収める。およそ30年の間音楽から離れ、その間も今までのミュージシャンとは連絡をとり活動を共にしていた。友人であり元バンドメンバーのトム・マヒューズの50歳の誕生日パーティでメンバーは再会し、即興のパフォーマンスを見せた。それを機にレットの創作力が戻り、ギターを手にし、作曲のスキルを磨き、錆び付いた指先、マインドとソウルを取り戻すこととなる。幼なじみのバンドメイト、ジェームス・”ジンボ”・ペインはレットの音楽への道に戻ることに大きくサポートし、また共に活動を再開。夜な夜な地下にあるスタジオで新しい音源とボーカルに力を注ぐ。
レットとジェームスは新しいプロジェクトを開始し、カルカッタ・ボーイは彼らのファーストニューリリースとなり、レットは約30年ぶりの音楽制作となる。スタジオレコーディングでのジェームスの支援もあり、4曲からなる新しいアルバムはこの数年の経験と様々な音楽ジャンルから得たスタイルとユニークなサウンドからなる。それぞれの楽曲はクラシックロックをベースに異なったスタイルで制作され、"There's a Little White Powder"は病みつきになるようなメロディーで非中毒者をテーマにした曲となっている。カリビアン/カリプソビートスタイルでうまく創られた”Mirror, Mirror"の歌詞はアルバムの中でも人気を得る曲の一つである。ポップスタイルのバラード”Have Your Arms Been Missing Me"は眠りを誘うコーラスとメロディーが特徴的。”African Queen"はよく仕上がったストーリーラインが含まれ奇想天外な音景と巧みな韻でリスナーを冒険へと運ぶ。レットは現在オーストラリアのブロックロックで、カルカッタ・ボーイの4つのトラックのリリースと共に彼の新しい音楽活動のまっただ中である。間違いなくレットは音楽へ戻り、カルカッタ・ボーイはその前兆の一つに過ぎない。すでに新しい楽曲への準備をし、”ウーリー・ブーリー”から今日まで音楽の道へと印をつけてきたレット - 音楽とクリエイティブなモンスターはインドからオーストラリア、そして世界へと。