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「大橋純子さんの追悼記事を見て思ったこと」

2023/11/15 00:00

 大橋純子さんの追悼記事で以前のインタビューの内容を読んでいて以下の部分について、自分の考え方に一致していると感じていたため、ビックリしました。

※インタビュー記事から引用
「自分を“ストーリー・テラー”あるいは“画家”にたとえて~歌詞がつづる物語を歌によってリスナーに伝える。または、言葉、メロディ、リズムによる“音のキャンバス”を声で色づけていく。そんな思いで歌っていた。」

 色・キャンバスといういつも自分が音楽の表現について聞かれると答えていた内容に近い答えをする人がいたんだなぁとビックリしました。

 ぼくの場合は、当然歌という単体に限らず、ライブというものの空間形状はNET動画とかとは違って、音のキャンバスは透明で、お客様と自分の間の実際にある空間にあるもので、そこで双方からコンタクトしているものであり、感情が色で常に表現されているような感覚だと…自分では思っており、双方からの色が合致したり、混ざった色が美しくなると双方が感動できるのではないかと思って演奏しているつもりです。
 お客様がいなくては音楽にならないのは、一方通行では成り立たないものだからだと感じています。もっと言えば、良い演奏も、すばらしい曲も、すばらしいパフォーマンスも、常にプレイヤー側は50%程度の影響力であり、50%はお客様自身が作られているものだと感じています。
 良い演奏は「する」のではなく、「させていただけた」というものなのではないかと思っています。

 ぼくの感覚ではギター等の弦楽器は高さを表現したり躍動感を表現するような飛翔感を大切なものとしたく、ドラム・ベースについては奥行や広さ…大地の躍動のようなものを表現する、それにボーカルは語りをしていく…。
 そんな感覚で表現するものを、その日、その時に出会った方に伝えたいと思いながら、その時だけの色を考えてキャンバスに色を描く…。たまたまかもしれないけれど、それを心地よく感じていただけたり、違和感が印象的に感じて興味を感じていただけたりした時に、その空間は意義のあるものになるし、自分が唯一存在していて良かったと感じられる一瞬なんですよ。
 そんな感動も、年に1回すら感じられなくなって来てしまった感もあって残念ですが、そんな空間に居たいという夢は捨てずに生きていきたいと、まだ感じています。

 1990年に一度音楽を辞め、ギターをやめただけではなく音楽を聞くのすらしなかった1993年までの3年間…。
 もう一度音楽をはじめたいと思ったキッカケは、音楽そのものに対する気持ちではなく、画廊で見た絵の風景を音にしてみたいと感じたところからでした。
 いえ、本当は音楽をやめてから思ったことは、ギターを弾いて音楽をやるよりも、「感じたように思ったように絵が描いてみたい…。絵と併せてお話があるような…、年齢不詳の絵本のようなものが作ってみたいな…。」と感じていたのかもしれません。
 絵を描く能力がないので、それを音で表現することにしたため、現在に至っています。
 もしも絵を描ける能力があれば音楽をもう一度はじめることなく、29歳でギターも音楽もそのまま辞めてしまっていたのだろうと思うと、非常に不思議に感じます。

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