じょに~さん、お待たせしました。このホームページのSongsのページの先頭に録音しなおしした1987年に私がこのバンド最初のオリジナル曲として作曲した(作詞は宮崎謙実)「Goodbye Memphis」をアップしました。
午前中に全て完了の予定だったのですが、とにかくパソコンがかなり不調で、テキストは漢字変換できなくなるわ、外部SD認識しなくなるし・・・、もう参っちゃいました。
とりあえず、ブログ用にYoutubeにもアップしましたので、このブログ上ではコレ↓を見ていただけたらと思います。
あまり後ろを振り向かずに自分なりに前を向いて音楽をやってきましたが、もう今年の9月には62歳になり、定年再雇用で半減した給与とはいえども収入があるのは65歳になる3年後の9月までですから、65歳からは月割りすると10万円くらいの低額な年金生活者となり、とても音楽は続けていけるとは考えられませんので、そろそろ人生の総括を音楽でしていかなくなはならないであろう時期になったかなと思っています。
どうなのかな・・・。逆に65歳で金はなくなってお店での音楽活動とかはもうしにくくなるし、ガソリン代も出せないので村上の店に練習しに行くことも出来なくなるだろうけど、ギターシンセとギター1本とマルチエェクターとサンズアンプと、SDでデータを村上とやり取りできるマルチトラッカーが壊れずにあれば・・・、週に1曲づつくらい作って、ラジカセオケで公園で演奏する・・・なんてことくらいは続けられるかも知れないかな・・・。
と思っているうちに、マルチトラッカーの電源が絶不調を起こし、本日のトラックダウン作業中に3度も電源ダウンでやり直し・・・。
パソコンは冒頭のお話のとおりで酷い状況。。。
頼りにしているアンプの”ZTamp Lunchbox Junior”も最近すごいガリノイズが出るようになり、なんとなく音の線が細くなったように感じる。。。
ギターを残すのを最終的に1本だけにして弦もゲージは太くなってしまうけれど廉価版の弦にすれば、月に2回張り替えたとしても500円×2回=1,000円なので、外食をやめれば捻出できるでしょう・・・。
しかし、1本を選ぶのが厳しいなぁ・・・。
音で言えば圧倒的に”Vanzandt Bronson”だけど、楽しいという観点といつまでも立ってギターを弾きたいという観点で考えると激軽な”Gibson SG Junior”だし、どんな音楽にも自分が合わせやすい自分スタンダードな点を考えると”Fender Player Telecaster”だし・・・、この3本からの選択は本当に難しい。
余計なお話が多くなってしまいました。「Goodbye Memphis」の話に戻ります。
1980年代の前半、ぼくは人気バンドのメイベリン~レッドショックでボーカルを担当していた宮崎謙実氏を中心としたその後のバンド”Kenmi MissTones”でギターを弾いていましたが、そのバンド解散を機に音楽職を断念してアルバイトを経て遅ればせながら27歳からサラリーマンに転身しました。
そのバンドと並行して参加していた地元のブルースバンドには現在も一緒にやっている村上がベースで参加していました。
ぼくはオリジナル志向なので、コピーバンドはあまりやりたくはなく、当初はブルースロックのオリジナル曲バンドでしたが、どんどんコピーバンド色が強くなったため、ぼくは脱退。
その後に村上もバンドをやめたことを知り、1987年に村上と結成したのが今のBlencheの前身Wonder Boysでした。
音楽的にはKenmi MissTonesでやりたいなと思っていたアメリカ西海岸1970年代のフォークロックのような路線を目指して、このバンドの一番最初のオリジナル曲として作ったのが「Goodbye Memphis」でした。
歌詞は苦手でうまく書ける自信がなかったので、宮崎謙実氏に書いてもらいましたが、その時のぼくの心境を歌詞に起こしてくれた・・・という感じです。
演奏としては、オーリアンズを意識して作った曲なのですが、あまり似ていると言われたことはありません(笑)。
そんなわけで、プロミュージシャンを諦めたぼくがこのバンドに描いたイメージは、「アマチュアバンドというよりも、野球的に言えばノンプロバンド」という感じでした。
その後の世の中ではインディーズという呼び方が定着しましたが、その頃にはまだなかったので・・・。
Wonder Boysという名前は「神童」という意味ですが、野球映画の「ナチュラル」の中でバットに書かれていた文字が”Wonder Boy”で、これはカッコいいと思ってつけたバンド名でした。
「神童であれば、たとえノンプロでも心ある方々には伝わる音楽が供給できる。」プロとして一流になることを目指すのをやめても、音楽を発信していく意義は変わらず持ち続ける・・・そんな気持ちだったと思います。
その後、いったん音楽をやめて、今度は音楽以外の芸術からヒントを受けて音楽活動を再開してからは、かなり音楽性もプレイの方向性も大きく変化しましたが、「Goodbye Memphis」がぼくたちの最初の一歩だったことは間違いありません。
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