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「9月4日(日)はWonder Boys復活祭」

2022/08/25 07:00

 9月4日(日)のお昼にサミーズハワンアンカフェで行うランチライブは、急遽、前日の晩にたった1度のリハーサルになるためほとんどセッションというカタチになりますが、"Blanche"の前身"Bewear of Moving Wax doll"の前身"siloam"の前身"Wonder Boys"のメンバーのひとり、キーボード担当片渕正雄が参加して、この日1日限りの"Wonder Boys(3/4+1)復活祭"を行うことにしました。
 (3/4+1)の意味は、オリジナルメンバー4人(阿久津・村上・片渕・西野)のうちの3人(阿久津・村上・片渕)という意味で「3/4」。それに「+1」は美妃です。

 1987年~1999年に活動のバンドなので、どれだけ曲を覚えているかは疑問で、かなりボロボロの演奏になり、かつ、歌も35年の老化は厳しくてキー的にかなり苦しいとは思いますが、逆に「今やらなかったら、もう二度と出来ないかもしれない。」と思ったので、無理やりやることにします。

 きっかけはたった一つ、土日に休みのない片渕が本当に珍しく休みを9月にとれたからライブを見に行く・・・という連絡を受けたところからでした。
 土曜日も休みという事なので、それならば直前、前日のリハーサルは可能だから、無理やり出来そうな曲をやって"Wonder Boys(3/4+1)復活祭"をやろうという事になったのです。
 もっともっとやりたい曲はあるのですが、ドラムのオケづくりの関係もあってそう沢山はできませんし、ほとんどの曲は忘れているので、思い出しつつやらねばなりません。

 バンド名はコロコロと変更しましたが、1987年に4人編成で活動を開始する前から別のバンドでベース村上と一緒にやっていたバンドを辞めて、その村上と二人で計画しはじめたバンドが"Wonder Boys"でした。
 すぐにギター兼キーボード兼ボーカルの片渕が加入、それにぼくの中学時代の友人西野がドラムで加入して1987~1989年までは西海岸ロックのオリジナルバンドとしてやっていました。
 1989年に解散し、1990~1993年までぼくは一切音楽を聴くのすら辞めて楽器も売却して辞めていましたが、1993年の年末頃に録音物の制作のみを活動としてWonder Boysを再結成し、各メンバーの家へマルチトラックレコーダーを持って録音にまわる録音のみの活動をはじめました。
 しかし、どうしてもライブがやりたくなり、メンバーが揃わない中、CDを制作してフリーマーケットで民族楽器や小型のエレキギターを使って、トラのメンバーと一緒に小音量ライブをしながらCD販売したのが1994~1999年でした。
 しかし、メンバー4人が集まってライブが出来る機会はあまりなく、1999年のライブで全員が集まって演奏したのを最後に"Wonder Boys"は終わりました。
 トラのメンバーを交互にやりくりしながらフリーマーケットで極小音量ライブをやっていた1997年くらいが最盛期だったかと思います。

 その後は民族楽器を使ってアコースティックロックをと考え、名称を「あくつ&にしの」→「siloam」へと変更。カンジーラなどインドのパーカッションを西野が叩き、ぼくのサズとふたりで演奏しましたが、演奏の醍醐味を追求しようとするとボーカルが出来ず、ボーカルをやると演奏がつまらなくなり、この活動は2003年で終わりました。
 2002年に二人の女性ボーカリストにお手伝いいただいて作ったCD「siloamあぷさら」がこのユニットでの最盛期であり終わりの時でした。

 2003年には一度名称を"Wonder Boys"に戻し、普通のポップロックバンドとして女性ボーカルを募集し加入されましたが、長続きすることなく活動を終了。

 2005年には名称を"siloam"に戻して、当時中学生だった娘の美妃にボーカルを担当させることにし、その成長を楽しむという親バカの楽しみバンド?ともいえるバンドになりました。
 美妃加入までは「オトナのロック」と「ややテクニカル寄りな演奏のロック」としていましたが、美妃加入からは180度路線変更し、「歌謡ポップロックンロール風」を中心としました。
 2007年には主要メンバーの西野が脱退し、それからバンドは受難の時期となりました。やっと西野の代役で加入したゴンダさんもご自宅からの距離が遠いという事で長続きせず、2011年にはsiloamを解散し、もう、ドラマーは募集せずにバンドというカタチにとらわれない「ドラムとシンセのオケ」をバックにギターとベースをプレイする形態とし、音楽の内容も歌謡ポップ的なものから、もう少しレベルの上がったヨーロッパテイストもある独自のロックスタイルへと変更し、ユニット名を「Beware of Moving Wax doll」としました。
 名称の由来は、クルマを黒いBMW120iM-sports~320iに乗り換えたため、BMWの頭文字になるような名称ということで付けたユニット名でした。

 2019年にぼくは定年退職(低賃金で老齢者の再雇用になる)となり、これからの人生はもう終わりに向かって身も心も真っ白になっていくのを目指すかなぁ・・・と思いつつ、クルマを維持していくお金がないので、退職金で維持費の安い小さな白い、輸入車新車価格最安値150万円のクルマ"Volkswagen UP!"に乗り換えたことを記念して、ユニット名を「Blanche」に変更しました。

 ぼくの人生において音楽性の変更は世の中の流れとかは関係なく、自分が置かれた状態に「クルマ選び」が影響を受け、そのクルマからの影響が環境と絡んで音楽性になっていたので、「クルマ=音楽性」となり、バンド・ユニット名称の変更にもつながっていました。

 思えば1987年にWonder Boysが活動開始する前、ベース村上と話した内容は音楽のことではなく、お互いに乗り換えたばかりのクルマがオースチンローバー時代のミニという偶然で、その話で盛り上がったことが新バンド設立となったのでした。

 そのようなわけで良い音楽が考えられた時期と、とても気に入ったクルマの時期は一致します。

 最初の西海岸ロック風の時期はオースティンローバーのミニ、美妃の加入前後の頃のローバー400SLi、美妃の歌で組曲構成のライブをはじめた頃のローバー75、打ち込みドラムとシンセのオケに合わせて演奏する現在のスタイルを構築したBewear of Moving Wax doll時期は前述のBMW、そして終わりの時に向かっていく今は白という意味のBlancheで白い"Volkswagen UP!"です。
 でも、"Volkswagen UP!"はたぶん次の車検を通すことが出来ず、その後はクルマの車検や税金を払うこともできない低額年金生活者になるので、そこまでなのか・・・、それとも神は見捨てずに宝くじでも当てていただけて車検のない普通自動車免許で乗れる3輪トライクでも購入できるのか・・・、3輪トライクになったとしたら、また全然違う音楽性になるんでしょうね・・・(笑)。


 したがって、クルマは移動や器材運搬だけでなく、発想の原点になっているので、ぼくがクルマを維持できずに手放す時がバンドを失う時になろうかと思います。
 その日が一日でも長く続けばいいなぁと思っています。




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