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今後は二人だけの小ライブも追加

2018/09/27 00:00

 渋谷でのライブが終わったばかりですが、毎回50~60人くらいの方にライブの御案内をしても対バンのお客様と共通のお客様を除くと、毎回のライブでは1人集客できるかどうかのぼくたちは、はたしてライブが単純に「見ていただく」という目的を満たしているとは言えない状況です。

 残念ながら来年の9月にぼくは定年退職・その後に雇ってもらえたとしても低賃金での再雇用(約1/3の給料でアルバイト程度の金額)ということになるかと思いますので、その後は今のようにバンド活動に経費を投じることができないため、今、しっかりとお客様に見ていただく機会を得ないと、もうその機会を永久に逸してしまうことになるでしょう。

 そこで、今まではきちんと組曲が演奏できる40分以上のライブを・・・と考えて、自分たち主催のライブを活動の中心として来ましたが、それよりも、なんとかお聴きいただいている方の居るライブにしていかなくては、わざわざライブ会場に出向いて演奏する意義はありません。
宣伝して「来て欲しい」とお願いした方には来ていただけず、聴いて下さる方は対バンのお客様または共通のお客様という厳しい現状の中では、「組曲をきちんと聴いていただけるちゃんとしたライブ」よりも、「組曲演奏は諦めて単曲2曲程度のオープンマイク的な演奏でも仕方ないので、お店に聴いている人が居る状況で演奏する。」という方向を考えざるを得なくなったようです。

 組曲のストーリーを聴いていただくところに我々らしさがあるのは特徴としての個性であり、個性を捨ててしまう単純な演奏になってしまうという懸念もありますが、聴いて下さる方がほぼ居ない状況よりはマシなのではないかと思います。
まぁ、聴いてくださるよりも演奏したくて単に順番待ちのようになってしまっているオープンマイクはやめておくにして、なるべくお店の常連客の居られる環境でやっていける環境ならどうかなと思っています。

 ただ、そのようなたった2~3曲(10~15分)程度のライブに、月1度の日曜日のみの活動に限られるベース村上を投入するのはあまりにももったいないので、オープンマイク的なライブは村上無しで二人だけで出演する考えです。
 ちゃんとしたライブを完全に諦めるのではなく、数少ないちゃんとしたライブ(六角橋サミーズハワイアンカフェと渋谷マホガニー)では集客が少なくとも主催ライブを年数回は打たせていただくとして、村上はそういった場合や、40分以上演奏できる環境のみで登場してもらいます。(それを月1回くらいは維持する努力をします。)

 Beware of Moving Wax doll 2/3(要は美妃とぼくの2人だけ)で現在出演を考えている場所は、”川崎ティーンスピリッツ”のステージ解放DAYで日曜日の時があれば・・・、と、以前からいろいろお世話になっている江尻さんが半蔵門線住吉そばで開業されている”Jilly’s Bar”です。
 ただし、”Jilly’s Bar”のライブは通常土曜日なので、日曜日しか活動できないぼくらにとってあまり機会はないと思います。
 けれど10月27日(土)はなんとか美妃が有給休暇をとれたので、18:30~からのJilly's Barでの「ザ・勉強会」という小ライブに美妃と二人だけで出演させていただく予定です。

 台風が来そうな次の日曜日・9月30日ですが、”川崎ティーンスピリッツ”のステージ解放DAYがあるそうなので、もしかしたら2~3曲演奏しようと思っていたのですが、台風の直撃が予想されて夜8時以後は首都圏のJR線全線が運休となるため、出演は見送りました。。。残念。。。
 川崎では9/30を逃すと日曜日に演奏できる日程は年内には無いようなので、年内はもう無理なようです。。。

 しかし今は聴いていただけるチャンスを広げ、聴いたことのない・まだ演奏しているところを見たことがない人たちに少しでも多く聴いて・見てもらいたいということ。
 そして、もしそこで気に入っていただける可能性があったのなら、それを確かなものなのか確かめるためにちゃんとした私たちの主催ライブ(組曲が演奏できる40分以上の演奏)を見に来ていただきたいという気持ちです。
 いわば「ライブの宣伝のためのライブ」という考え方ですね。。。

 確実に今までどおりライブに来ていただける環境を維持できるのは来年の9月までです。多く見積もっても最大10回くらいしか40分以上のライブは打てないでしょう。
 もう確実にお会いできると約束できる時間は残り少なくなりました。
 来年の9月以後は、もしかしたら経費の関係で活動はNETのみになってしまうかもしれませんし、美妃も年頃なのでいつまでぼくとバンドを続けてくれるか・・・というか、ぼくは美妃に歌わせてバンドをやってくれるダンナさんになってくれる人を募集しているつもりなので、そういう方が見つかればその時は娘をまかせてこのバンド活動を引退するつもりです。

 まぁ、数年前までは地道に毎月チャージ無料のライブを続けて着実にお客様を増やし、どうしても手薄になっていた都内でのライブも恒常化し、しっかりつかんだお客様にぼくが60歳以後は若干のチャージ料をいただいてバンド活動を維持する・・・という夢を描いていましたが、その夢は夢で終わりましたね(笑)。

 自分なりには良い音楽を作って来たなと自負はしています。残念ながら、聴いていただく前から聴かないライブに来ないことが決定され、落ちこぼれのギター弾きが老人になってやっと音楽をやめる・・・という厳しい評価で人生を終えそうですが、楽しいこともなかったわけではないし、悪い一生ではなかったかな。。。
 一番うれしかったのはベストギタリスト賞をとった時でも、コンテストで準優勝した時でも、高校生で審査員特別賞をもらった時でもなく、高校生の時に何を間違ったのか女の子たちに黄色い声援をもらったこともちょっと嬉しかったのですが、銚子の楽器屋さんの前で演奏した時に小さな子に「ぼくはあのおじさんみたいになりたいんだ。」と言われてその子はママにエレキギター(ZO3)を買ってもらってたこと・・・。ぼくは一瞬、彼にとってBeatlesのような存在になれたんだということです。
 ぼくらの自主制作CDをその子のママが買ってくれそうだったのですが、ぼくは嬉しかったのでCDを差し上げました。音楽を、自分がきっかけではじめてくれるということほど光栄なことはないと思っています。人の人生を音楽に繋げたのだから。
 それから、フリーマーケットで自主制作CDを売りながら小さな音で演奏していた頃、当時小学生だった女の子が歌詞の表すところに興味をもってずっと聴いていてくれて、なけなしのお金でCDを買ってくれました。その後、嬉しい感想をおじさんに手紙で送ってくれ、そのうち、いろいろな悩み事を何度も手紙にしておじさんと文通?してくれました。これはね、その場で喋っていないわけで、音楽から来るイメージだけで人が繋がっているのです。
 それが音楽の力だし、なんの能力も財力も力も無い自分が、音楽の世界だけなら人のために、人に愛を与えたり、希望をもたせたりすることができることを彼女は立証してくれました。たぶん、今は40歳手前で立派な音大出の音楽の先生になっているのだろうなぁ~。
 その後に、なぜか鬱病に苦しむ人ばかりがぼくのお客様になる時期もありました。 
何をすれば夢をもてる自分に戻れるのか・・・一緒に真剣に悩んで音楽に答えがあると信じて頑張りました・・・。結局は頭の良い自分やカッコいい自分ではなくて、おバカな自分が好きと思えること・・・が答えに繋がっていて、それは不思議とぼくに備わっている(笑)。人が楽しんでくれるのが一番嬉しい・・・って、とことん自分には関係ないのにバカだなぁと思いますがそれが生き甲斐なわけで・・・。不思議なことに鬱病が治癒してくるとぼくらの音楽に興味をもたなくなって離れていくという、なぜなのか理由のわからない寂しさも体験しましたが・・・。
 今はすべてが遠い思い出ですが、ぼくにとっての宝は「その人の人生の一時ではあっても、ぼくとぼくの音楽を必要としてくれた時があった」という夢のような現実があったというところです。

 でも、それを過去の思い出だけでなく、もう一度味わいたい。。。だから音楽を続けているのだと思います。
 確約できる活動期間はどんどん残り少なくなりますが、1人でも多くの方に、たった1曲だけたったとしても(本当は組曲を全曲聴いてストーリーブックも読んでほしいけど…)聴いていただけるチャンスをつくり、必要とされる自分に戻れるチャンスを広げたいと思います。

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