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「エルトンジョン」

2021/04/29 13:00

 昨夜は「ロケットマン」というエルトンジョン物語の映画を見た。
 なんとなく中学生のころ、一番最初に聴いた「Yes , It’s me」が好きになり、グッバイイエロープリックロードまでは全て聴いていました。
 なんでその後はスランプだったのかなぁ~とよく知りませんでしたので、映画を見てなんとなくわかりました。
 でも、でもあの「ピアニストを撃つな」のレコード発売の時期、まだエルトンは20歳代前半だったのか・・・とか思うと、本当に凄いなぁと改めて感じますね。

 ぼくは密かに想像した事があって、今でもなんとなく不審に感じているところがありまして、「グッバイイエローブリックロード」は「ピアニストを撃つな」までのピアノバラードとロックンロールの路線とは全く違った音楽性に感じ、まるでエルトンジョンと他の人とが共作してAメロとサビを付け合わせたのではないだろうか・・・と感じてしまったのです。
 それはぼくにはエルトンジョンとビートルズの音楽が合体したように聞こえました。

 当時、ビートルズ再結成の噂があり、5人目のビートルズが居る・・・と言われていましたが、世間では当然のようにそれはクラプトンだろう(ホワイトアルバムでも一緒にやっているし・・・)と思われていたと思います。
 でもぼくは「グッバイイエローブリックロード」を聴いて、5人目のビートルズはエルトンジョンだったのではないか・・・と感じていました。

 映画では作詞家との離別とアル中・薬中がスランプを引き起こしたようになっていますが、ぼくはエルトンジョン自身の挫折は「グッバイイエローブリックロードを超えられない」というジレンマのように感じたのです。
 そして勝手な想像で「グッバイイエローブリックロードにはジョンやポールのアイディアがかなり混じっていて、下手をするとレコード会社の問題もあって本当の事は明かされないけれど、実はビートルズとしてのデモ音源を基にした上に重ねて録音されていたりして・・・」などと勝手な想像をしてしまいました。
 何しろ、ぼくはグッバイイエローブリックロードを初めて聴いた時に、それまでのエルトンジョンの曲とは違って、まるでエルトンとポールが掛け合いで歌ったらピッタリくるようなメロディーラインに聴こえてしまったので、どうしてもそんな想像が頭によぎってしまった中学生の頃でした。

 その後、今から10年くらい前でしょうか、当時、1970年代中頃、流れてしまったビートルズ再結成でしたが、その時に録音は開始していてそのテープがどこにあるかわからず、もし発見されたら大変な事になる・・・ということで、ポールがわざわざ所沢のジョンレノン博物館までテープを探しに来た・・・という噂がいろいろなところから聞こえて来ました。

 もし、それがエルトンジョンのグッバイイエローブリックロードだったとたら、空前絶後の大ヒット曲が、たとえ共作だったとしてもアップルレコード(EMI)が権利を所有すべき楽曲でA&Mから発売されたエルトンジョンだけのものではなかったとしたら、これは確かに大問題だな・・・と、中学生時代に感じた事を思い出していました。

 全くのフィクションで、ぼくの勝手な想像に過ぎませんけどね。

 なぜぼくはそんなことを感じてしまったのだろう・・・。
 確かに「グッバイイエローブリックロード」は素晴らしい曲が沢山ちりばめられて、これ以上素晴らしいエルトンジョンは無い・・・と言わんばかりの自信に満ちた完璧な音楽だったと思いますが、ぼくは前述の通り一番好きな曲は「Yes, It’s me」だし、完全完璧なエルトンジョンよりも、なんというか愛されない卑屈な少年の劣等感を漂わせつつオトナになったちょっと寂しく聞こえる中の優しさ・・・がぼくにとってのエルトンジョンの好きだなと感じるところだったから・・・、それはあまりグッバイイエローブリックロードに感じられなかったのでした。
 なんというか、ぼくの好きな「素朴さ」が影をひそめて、まるでポールマッカートニーのようにコマーシャルに聴こえたのです。
 でも、この時期、ポールマッカートニーは「ラム」や「ワイルドライフ」などの、逆に素朴な音楽だったので、実は僕としてはポールマッカートニーとしてはこの時期が一番好きだったかもしれません。

 音楽って不思議だなぁ・・・と思うことは、プレイヤー(シンガー)によって良い曲だったりつまらない曲だったり変化する。
 すなわち、その人というフィルター・演奏・楽曲・プロデュースの4つが合わさって初めて「良い曲」だったり「つまらない曲」だったりを決定していくんだなぁということ。

 例えばプロデュース側が企画したその人を演じなければならない場合と、プレイヤーの個性が素晴らしいのでそれを活かしたプロデュースをしてもらっている場合では、その人というフィルターはお客様には180度違ってしまうでしょうし、その180度違った視点を想像の原点とするのですから、聴こえてくるイメージだってまるで変わっちゃうでしょう。
 まぁ、あまり無いとは思いますが、演奏内容があまりにも斬新で他にないものであれば強い個性を持てるかもしれませんが、演奏は「らしさ」であって、いわゆる日本人かよく言う「上手」ではないと思います。当たり前に「上手」であればほとんどの場合は「普通よりは上手」でしょうから・・・。
 楽曲に対してプレイヤーの個性が合致していると感じられるものでなければ、その曲が本当はどんなに素晴らしい曲だったとしてもだめで、とどのつまりはプロデュース側がいかに素晴らしい企画をたてるのか、プレイヤーがどれだけ素晴らしいプロデュースを受けるのかによっているのかなと思います。

 そんなプレイヤーよりも売り手が主体の商業音楽の中で、1970年代前半という時代は珍しくプレイヤーが主体となっていた時代だったのかなぁ・・・だから、その時代のロックに夢中になったのかな・・・、もし、今の時代に中学生だったら、果たして音楽に夢中になれていたのだろうか・・・等と考えてしまいました。

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