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”Old Wonder Boys2/4+Girl”

2019/07/22 00:00

 8月25日(日)14時から地元六角橋”Sammy’s Hawaiian Cafe”で行うライブについて、ずっと対バンを募集しておりますが、なかなか一緒にライブをやってくださる方が見つかりません。
 致し方なく、対バンが見つからない場合はバンド内別ユニットをオープニングアクトとしてライブ実施する計画を考えております。正直、ぼくの還暦パーティーライブは無いので、この日のライブを「還暦直前ライブ」として還暦パーティーのかわりにしたいと思います。

 そうですね、対バンのバンド名は・・・・”Old Wonder Boys2/4+Girl”かな・・・(笑)
 問題はボーカル担当が年寄りで曲のキーが高くて歌えるのか、2曲以上歌ったら倒れてしまうのではないか・・・という不安です。何しろ、翌月還暦になる人間なので・・・(笑)

 メンバーは・・・
・ギター・リードボーカル → 阿久津雅一(ぼく)
・ベース・コーラス → 村上泰範
・キーボード・リードボーカル → 片渕正雄の代役で阿久津美妃
・ドラムス → 西野平和の代役はドラムマシン

 というわけで”Blanche”のままで変わりません(笑)。

 前回のライブ渋谷マホガニーで当日限りで歌ってみた当時でもキーが高くていっぱいで歌っていた「永遠の歌」という1995年のオリジナル曲ですが、なんとか声が出た(かなり厳しいけど・・・)ので、まだ歌えるうちにもう1回やっておこうという気持ちになりました。

 なぜバラード曲でもこの1994年以後の曲は吠えるような高いキーの曲ばかりを作っていたのか・・・ですが、実はちゃんと理由があります。
 当時はミニチュアの楽器セットを持ち込んだフリーマーケットにて小音量で生演奏し、自主制作CDを販売していましたが、その際にはマイクを使わずに生声で歌っていたためで、特にバラード曲は音量が下がってしまうのでいっぱいのキーで曲作りしていたのでした。

 この時期より前の1989~1993年作成の曲は逆に夜遅い時間に自宅で録音していたということもあって凄く低いキーの曲が多いので、1994年を境に1993年は大人しく録音中心のサウンド、1994年からは野外生声を意識して元気いっぱいのサウンドとなっていました。

 1987~1988年に作った自主制作盤30cmLPレコード”Wet or Dry?”は、それ以前にぼくが加入していた”Kenmi Miss-Tones”の音楽の流れを汲むアメリカ西海岸風のライブを意識した軽いロックでした。この時期の代表曲はたまに演奏していますが、Kenmi Miss-Tones時代のボーカル宮崎謙実氏に詞を書いてもらった「Goodbye Memphis」で、当時好きだったOrleansを意識した曲でした。

1988~1989年の解散まではメンバーが2人になってライブ活動が出来なくなったため録音のみの活動で、アマチュア劇団の音楽担当をしたりしながら音楽性を独自のものにしていった時期で、それまでは外(他人)に向けたあまり強い意志をもたない軽い言葉の音楽だったものから、自分の心の内側での会話のような内容に変化し、音楽の聴こえもアメリカンなものから無国籍オリジナルな暗いものへと変化しました。実は今も”Blanche”の代表曲として演奏しており、このホームページからもダウンロード出来るようにしている「レクイエム」という曲はこの時期に作成したミニアルバム”Tears”の中の1曲なので、ボーカル美妃が生まれる前から演奏していた曲でした(笑)。

 1993年までは音楽を辞めていましたが、1993年に作った8cmCDの自主制作盤「Home」では1988~1989年の音楽性に近いものでしたが、メンバーの休日日程が合わせられないためにライブが出来ないながらも録音のみで旧メンバー4人がマルチトラッカー上のみで集結して演奏するという再結成企画のようなものでした。
 もう一度音楽をはじめた動機になっている「油絵の世界と、頭に浮かんだストーリー」に対して素直にそのまま劇バンの音楽のように音楽を作る・・・という、今の組曲構成で音楽をはじめたのはこの時からでした。
 真夜中にクルマの中で録音したりしていたため、どの曲も囁くような小さな声で歌うものばかりでしたが、その中ではそれまでやって来た音楽とはかなり毛色の違う音楽ができたし、いかにも絵画の世界のままのイメージが描けたので収録曲の中では「森の女神」という曲が代表曲かなと思います。

 その後は頭に浮かんだストーリーをミュージカルかのようにデュエットで進行していく組曲を、大学時代の友人女性に歌ってもらってフルサイズCDを制作したりしましたが、ライブができない気持ちがもどかしく、また、作ってしまったCDの在庫をどうするか・・・(そのまま手売りでは全部で20枚販売がいいところなので、在庫が250枚づつ程度ある状態・・・)という問題もあり、メンバー全員が集まれないならば居る2人だけでなんとか演奏できる方法を考え、フリーマーケットに出店して演奏しながらCD販売することとしました。
 そして1994年、自分はピーターパン症候群ではないだろうかと感じて作った組曲”Never Land”は、基本的にぼくが弾くマンドリンのオバケのようなアイリッシュブズーキとドラマーの西野が叩くインドの打楽器バクワジで下地の演奏を作った上にエレクトリックの演奏を被せるという手法を用い、録音していきました。代表曲は子どもたちにやたらウケのよかった「心のイントロダクション」です。

フリーマーケットでは民族楽器での演奏を二人でしながらCDを売りました。しかし、ドラムの西野が脱退し、この方法も1年で終わってしまうかという頃、キーボード片渕のアルバイト先の変更で日曜日が休みとなったため、今度はドラムとベースのみを録音したカラオケに合わせてエレキギターとキーボードを演奏しながらCDを売るという方向へ変更。
“Never Land”からわずかな期間で次の組曲”Child Hart”を制作しました。代表曲は「流行の歌」「永遠の歌」「真夜中のおもちゃ箱」あたりでしょうか。。。

 しかし、今もそうなのですが、オケにあわせて演奏しているとやはり、全員録音の無い生の演奏がしたいなと夢を持つものです。
 片渕のアルバイト先のお客さんだった前田くん(Bass)や未来くん(Drums)にお願いしてフリーマーケットでのライブを手伝ってもらいました。当然、ドラムはイタリア製のおもちゃで、スネア代わりはオモチャのタイコ部分にギターの弦を片側だけ貼り付けたりして作ったり、ベースはベース用のマリンライダーというZO-3ベースのようなものでやってもらいました。
 ドラムの西野はバンドを去っていたので未来くんに手伝ってもらい、1998年には組曲”Musing”を制作。代表作は今もBlancheでも演奏している「吟遊詩人」です。
 しかし、手伝ってくれていたDrum未来くんも辞めてしまったため、1999年、最後はオリジナルメンバーできちんとライブに出て終わりたいと考え、旧Drumの西野に声をかけ、村上にも都合をつけてもらってライブを行い、その後の活動もいろいろ考えましたが実現できず、Wonder Boysは終わりました。

 そんな時期の曲ですが、Blancheの前座バンドとしてやってみたいと思います。
 予定しているセットリストは以下のとおりです。

■”Old Wonder Boys2/4+Girl” (約40分)
(1) 森の女神
(2) 吟遊詩人
(3) Peter's shadow
(4) 永遠の歌
(5) Goodbye Memphis
(6) 心のイントロダクション

■”Blanche” (約45分)
(1) 空飛ぶ自転車
(2) Wrap it !
(3) 赤い竜
(4) Dream
(5) 風の吹く森
(6) おお、キャロル
(7) ロコモーション
(8) Over and over
(9) 夢見るシャンソン人形

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