ぼくは写真のとおりライブ衣装としてチャイハネの服を着ることが多く、たぶん7~8割近くはチャイハネ製の服で演奏しているかと思います。(あと2割は、バブリーな時代のバギースーツやマオスーツです。)
最近は、コロナ蔓延で困った…以外に話題もないので、今日はなぜチャイハネの服を着ているのか…等について、お話してみたいと思います。
音楽そのものと関連する部分もあるかと思いますので、ちょっと関係ないだろう?と思われるかもしれないこの話題にしてみました。
以前にもこの話題は書いた気がしますが、その時は「フリーマーケットで自主制作CDを実演販売していた頃・・・」という話題の「音楽活動」の中での話だったと思いますが、今回は純粋にチャイハネをなぜ着るようになったか等からお話したいと思います。
最初は家着としてでした。
1980年代の終わり頃だったと思います。結婚したてで、バンドマン職を辞めてまだアルバイト暮らしだった頃、アルバイト先は関内にある横浜中社会保険事務所でした。
土曜日の午後だけ贅沢することにしていて、妻と今はなきローマステーションの関内店で昼食をして、中華街や元町をブラブラして、場合によっては夕方にローマステーションに戻って一杯やる…という、長男が生まれる寸前だった頃か、生まれた頃か…、とにかく、63歳に今年なるぼくが27~29歳頃の1980年代の終わり頃がチャイハネとの出会いでした。
今の中華街のアメツチテラスがある位置に最初のチャイハネがありました。最初に行ったのはこの店舗でした。(今は自宅から近いのでベイクォーター店で買うことが多いですが・・・。)
当時、結婚1~3年のぼくは急激に太りはじめ、結婚前は50kg台前半の体重だったものが、25歳からわずか2年も経たずに70kgを超えてしまいました。
それまで履いていた28インチのブーツカットジーンズなんて、太ももまでも上がらなくなりました。
アマチュアバンドは続けていましたが、将来のなくなったミュージシャンとなると、みるみるとお客様はいなくなり、「他人に見られる」という意識も薄れたからでしょうか…、それとも結婚して毎食食べるようになったからなんでしょうか…、ピーク時にはほぼ80kgに近くまで体重は膨れあがりました。
たしか6月か7月だったかと思います。
もう、どの服もキツくて、家では緩いジャージしか着られなくなっていましたが、この時期、化学繊維のジャージは暑いし、皮膚がかぶれちゃうわけです。(今のように優れたニット生地もなかった時代ですから・・・。)
ぼくは高校時代、鎌倉のギルドというお店でよく買っていたインドのお香が好きで、なんとなく民族チックなお店に興味がありました。
たぶん、フラワートラベリンバンドの石間さんの、いわゆるラーガギタープレイに中学生の頃に憧れていたからではないかと思われます。
そのような「太った」「暑い」「化学繊維のジャージの生地感が嫌」という単純なところで、「化繊のジャージではなくて、ダブッと楽で涼しい服がないかな・・・。」と思って見つけたのがチャイハネで売っていたクルタやイージーパンツのような涼しいパンツ類でした。
今のチャイハネの服とはちょっと違う感じではありますが、サラッとした麻の生地のものが多く、ぼくの印象では「アジアンティックにカッコ良くなったバカボンのパパみたいな服」っていうイメージで、まだクーラーのなかった我が家では重宝する涼しい服でした。
1980年代は自宅近所を出歩く程度で、ライブで着たりすることは無く、1990年~1992年は音楽を辞めていたので単純にホームウェアでした。
さて、1993年からまたバンド活動をはじめることになり、その活動は通常のライブではなく、炎天下の外、フリーマーケットで小さな楽器と電池式アンプで実演しながら自主制作CDを売る・・・というものになりました。
そうすると楽なカッコでギターは弾きたいし、暑いので、チャイハネルックで地べたに胡坐をかいて演奏するようになりました。
フリーマーケットという場で、とくに子どもたちの足をとめて聴かせることができるサウンド(子どものママがCD買ってくれるかもしれない)を求めて、ピーターパンの笛をイメージしたパンフルート音色のキーボードの簡単なリフレインを魔術の呪文のように曲に乗せこみ、インチキアラブ人(というよりは千夜一夜物語の語り人を模したつもりでしたが・・・)になって、子どもたちにアピールしながら演奏するにはチャイハネファッションはピッタリでした。
東京都心部からドリームランド、住宅地域のスーパーの駐車場など、フリーマーケットでは10年くらい演奏し続けました。
演奏メンバーが全員集まれるわけではないので、ドラムとベースのオケを流しながらギターとキーボードで演奏したり、通常のアコースティックでは面白くないので、インドのカンジーラというタンバリンのような大きさのタイコや、トルコのサズの一番小さなジュラという三線の祖先のような楽器で演奏したりもしまして、一時期は「民族楽器で演奏するロックユニット」になっていました。
チャイハネの服って、民族風であることや、ちょっと変わった雰囲気があることも面白いところだとは思うのですが、ぼくにとっては「演奏するのに窮屈でなく楽」という現実的なところと、いかにも不審な人物になれるし、ぼくたちのように童話の世界で音楽を表現したい者にとっては、どこの人間かも、いえ、人間なのかどうか、もしかしたらトロルだったり、魔術師だったりに見えた方が、音楽を表現する上ではよりリアルなんだと感じており、「わけのわからない世界の人」になれる可能性が高いのもチャイハネの服だったという感じかなと思います。
うちの子どもたちの印象でも、きっとぼくはフリーマーケットで演奏している「妖精世界の仲介者のような変なおじさん」的なイメージを記憶していることでしょう。
なんとなく、夢の世界の中(音楽をプレイする時間)はそんな具現化のためにも、身体に楽に演奏するためにも、たぶんチャイハネの服で演奏し続けるかと思います。
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