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先日の話・・・いろいろ

2018/10/11 00:00

 先日のライブのムービーをTwitterにアップしておいたら、このユニットにドラマーがいたバンド時代(バンド名siloam)の時の最後のドラマーだった「ごんださん」がムービーを見て書き込みしてくれていて、とても嬉しい気持ちになりました。
 ごんださん曰く、「まだ『空飛ぶユニコーン』で美妃がピョンピョン飛び跳ねてるのを見て嬉しくて涙が出た」とのこと(笑)。
 なので皆さん、ごんださんを見かけたら、目の前でピョンピョン飛び跳ねてあげてください。きっと喜んでくれるでしょう(笑)。

 ごんださんがもしずーっとバンドにいたら、ぼくは今頃なにを考えていたかなぁ~と考えましたが、間違いなく、パール社製”Compact Traveler”を使ってくれ~とお願いしていたのは間違いないでしょう(笑)。
 これほどまでに省スペースな生ドラムはないし、これなら歩きで確実に持ち運べるし、音量も普通より小さそうなので、狭い店(特に防音のない店)でのドラムが入ったライブ、場合によっては野外でも重宝しそうです。
 ぼくの理想として、けして総体的な音圧に頼らずに小さな音でバランスできるロックバンドというイメージを今でももっていますし(そんな音量でもドライブ感で迫力を出せること)、あの震災後に思った事として大きな電力に頼らないで演奏できるバンド(太陽光充電で充電できる単三電池だけでも演奏可能なアンプ・PA・エフェクターでの演奏)を自分のモットーとしている部分もあります。
 もっと小さい8インチくらいの薄いハイハットとか、超小さいけれど厚手のクラッシュライドとあわせるとか、缶カラよりちょっと大きい程度のリムだけのメロタムをハイハットスタンドにあわせるなどしたらカッコいいなぁ~等と考えてしまいました。
 さらには音量を下げるため、細くて短い樹脂製のスティックを使うとか・・・。
 うーむ、まさにクルマで言えばダウンサイジング化みたいな感覚! バンドとして使ってみたかったなぁ~。

 そして、今では足りないメンバーは機械力や録音に頼るしかありませんが、ぼくの本当に理想とするバンドメンバー要因は、ボーカル・ギター・ベース・キーボード(オルガン・シンセ系)・キーボード(ピアノ系)・ドラム・パーカッションの7人編成なんですよね~。さらにキーボードの一人は生ギター等も兼務し、かなり広い演奏形態をクリアしたい気持ちはありました。
 今のユニット名に変更してからは諦めましたが、やっぱり全パート人間のバンド形態でやりたい気持ちはありますね。

 話かわりまして、このバンドが”Wonder Boys”という名称のバンドだった1987~1999年の頃のキーボードとギターを担当していた片渕が、昨年、世田谷で「一柳」というラーメン屋を開店させまして、つい先日、1周年記念パーティーをやりました。
 その際に、当時の曲を調理場でギター抱えて歌ったりしたようで、FaceBook Liveで配信していました。
 世田谷というと、ぼくにとっては幼稚園時代に住んでいた場所なのでなんとなく郷愁感があります。
 地域の方々に片渕は可愛がっていただいているようで、先日店に行ったら大変繁盛していました。
 FaceBookでお客さんとの写真を載せていましたが、その中にはWonder Boys時代にパーカッションで参加していた”サイGo”も写っていて、彼の奥さんの葬式以来会っていなくて離れてしまいましたが、とても懐かしく思いました。
 二人はフリーマーケットで小音量のミニライブ(楽器もミニチュア)をやりながらCD販売をしていた時のメンバーですが、片渕の前述FaceBook Live店内ライブのイメージが当時のフリーマーケットでのミニライブの雰囲気に酷似していて、なんとも懐かしい想いでいっぱいになりました。

 あの頃、おもちゃのような(一部本当におもちゃ)楽器で、3畳くらいのスペースにおもちゃのドラムセットを含めて4人で座り込んで演奏したこと・・・、トラックで乗りつけて発電機でアンプ鳴らしてガーンとデカい音・・・とかの野外ライブではなく、ラジカセ程度の音量で楽器は笑えるほど小さく、さらに背を丸めて小さくなってみすぼらしく演奏する姿はまるでピエロで、ケーブルテレビや大学内の映画などにも使われたりしてなんとなく楽しい思い出です。
 そんな楽しさを思い出させてもらえました。

 いろんなことを考え、様々なポリシーを持って活動してきたんだなぁ。他人様とは違う、たぶんこんなふうに変なバンドをやってきたのは世界中でぼくひとりかもしれない・・・と思いつつも、みんな中途半端なところで挫折してしまい、何もカタチに残っていないのが悔しいなと思います。
 でも、そんな奇策ばかりを考えていたのはすべてマイナス要因があっての事でした。
 フリーマーケットでの演奏は、作ってしまったCDをどこで販売するか・・・だったのですが、バンドのメンバーの休日日程が合わずにライブが企画できず、とりあえず集まれる人だけで民族楽器でアコースティックライブをフリーマーケットで演奏するようになり、その後に楽器として使えるおもちゃの存在を知り、そういったものと単三電池だけで駆動してくれる本物の小型の楽器を組み合わせたりして手伝いのメンバーを得て超小音量ライブを行いながらCD販売をしました。
 あまりにも小さな子どもたちばかりが興味を持ち、気づいたらフリーマーケットに来た家族が子どもをしばらく置きざらしにしておく託児所がわりのように利用され、酷いと1時間近く子どもを放ったらかしにされたりもしましたが(笑)、そういう中で間違ったオトナたちの考え「子どもにロックが聴けるわけがない」「知ってる曲をやらないと聴かない」「年齢相応の内容でないと聴けない」等、すべてが誤っていることが証明できました。
 すなわち、「子どもにロックが聴けるわけがない」は、1時間近く演奏者の前に放って置かれても飽きずに楽しんでいた子どもたち数十人。。。
 「知ってる曲をやらないと聴かない」は、それよりも「跳ねたくなるようなリズム」だったり「美しいと感じられるイメージ」だったりが正解で、「(自分の)知っている曲」を求めるのは「メジャーな者しか受けつける気のないご権威主義のオトナのみの発想」でしかなく、子どもにはそのような先入観はほぼなく、単純に「自分が良いと感じるものは良く、つまらないと感じるものはつまらない。」という真実があるのみでした。自分のオリジナル曲を聴く前に、あきらかにメジャーのものに劣り、聴くに値しない音楽だとレッテルを貼られた上で「聴いていただく」としてまでへりくだる必要がある人もいるのかもしれませんが、こと、ピュアな子どもたちについては演奏者の個性を受け入れようとしているので逆効果とさえ感じました。
 「年齢相応の内容でないと聴けない」は、ぼくらの音楽が非常に難しい文学だったり数学だったりするとは思えないので、基本的には曲のイメージは言葉の端々とメロディーの雰囲気とでやんわりと伝わるわけで、とくに簡明な赤ちゃん言葉の曲にしなくても子どもたちは聴いてくれていました。
 それよりも、後から子どもたちに相談ごととして聞かれたり、ちょっと大きい子どもたちには悩み事を相談されたりしたので、夢とか愛とか全人的な内容であることの方が、年齢関係なく心に届くように感じました(オトナよりもずっと・・・)。
 業界が供給しているものと本当に人類が潜在的に必要としている音楽とに差異があると強く感じたことが懐かしい思い出でもあります。

 来年の9月には還暦を迎えるぼくですが、友人たちの輝かしい還暦の演奏パーティーに出演させていただくと、本当に凄いなぁと感じます。
 過去に触れ合った方々は沢山居られるのですが、皆さんのように一堂に会して祝ってくれるような関係ではないし、だいたいにして自分の還暦祝いを企画してくれるような人なんているはずもなく、還暦イコール定年退職なので、その後の音楽人生がどの程度維持できるのかは全く不明な自分にとっては、その日(還暦)が良い日ではない可能性が大です。
 たぶん何も出来ないのでしないし、ただ60歳を迎えて職を失う日でしかないとは思いますが、でも、今ぼくはそこに向かっています。向かいたくなくても時は待ってくれないので・・・。

 そんなわけで、いろんなポリシーを持ってやって来ましたが、なにもカタチに出来るところまで頑張れず、まるでダメな音楽人生だったとも言えますが、ひとつひとつ細かくお客様個人の単位で見てみると、それなりに頑張ったような気がしないわけでもなく・・・、うーん、失敗の理由は「(理由はいろいろだけど)頑張れず、中途半端な活動に終始した。」ということなんでしょうね。

 さて、次のライブは渋谷マホガニーで10月21日(日)の18:30から。
アットホームなライブが身上ですが、残り少なくなってくる今後の音楽人生に悔いる気持ちを少しでも小さくするため、全力投球で気合を入れて演奏したいと思います。
また、もしもアンコールをいただけたならば、1曲、1980年代を代表する曲をカヴァーでお送りしたいと思っています。
まぁ、お客様ゼロでアンコール無しだと、せっかくの仕込みではありますが、まだ日程を決めていない次のマホガニーでのライブ(来年)でのアンコール用に順延することになりますが・・・。
じつは、この曲をやろうと思った理由は、マホガニーの左奥の席のところに貼ってある写真を見て「あぁ、ここマホガニーは1980年代音楽酒場ということだけど、ぼく的には1980年代っていうとコレかなぁ~」と思ったからです。
正直、1960~1970年代前半の音楽が好きなぼくにとっては、1980年代はあまり好きなものはなく、ダイアストレイツ・プリテンダーズ・フリートウッドマック・シンディーローパー・フーターズくらいしか聴いていなかった時代でした。
そんな中にあって一番ポップで聴きやすかったイメージがある曲でした。Aメロはビージーズだし、中サビはオリビアニュートンジョンのパクりっぽいので、1970年代下敷きの曲とも言えますが、最初にこの人の声を聴いた時には岡崎友紀に似ているなぁと個人的には思っていました。
 たぶんほとんどの方が知っているヒット曲ですが、まったくコピーせず、当時の記憶だけで勝手にアレンジしてみます。もしかしたらコードが違っているかもしれませんし、演奏がどうなっていたかは記憶にないので、かなり想像です。かなりゴツゴツしてロックアレンジにはなろうかと思います。
 もし、ウケれば、1980年代ということでマホガニー限定のアンコール曲にしたいと思いますが、アンコールなければ、もうこの曲のことは忘れます(笑)。

 10/21のライブは新しい方ともご一緒するので、ライブ自体はぼくもとても楽しみにしています。
 特に用事の無い方は遊びにいらしていただけたら嬉しいなぁと思います。

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