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「生存報告日記 土曜日のミストーンズ同窓会ライブについて」

2024/12/16 18:00

今日の生存報告~。
 土曜日は40数年前にやっていたバンド(ケンミミストーンズ)のボーカル宮﨑謙実(世の中的にはぼくらとのバンドではなく営業的に成功したメイベリン/レッドショックのボーカルとして知られるボーカリスト)のショウジマルで行われた古希記念ライブでギターを弾いて来ました。
 超満員のお客様は当然ほぼレッドショックファンなので、サビの大合唱などもあり、凄い盛り上がりでした。
 いつもなら「いいなぁレッドショックは人気があって…」とお客様からの疎外感を感じてしまうところですが、以前も合同バンドで一緒に演奏をしているお二人なので、他人感はなく、ぼくなどはお客様の眼中になくとも、仲間意識の中で演奏することが出来ました。
 我々ケンミミストーンズのライブでは、お孫ちゃんの参加ギターソロや、謙実氏の奥様のいとこ(だったかな?)の左利きベースの参加もあり、若い力の後押しで、老人パワー全開で、ところどころ軽くミスの多い、まさにミストーンなサウンドでした。
 いや、しかし、メドレーで…って言われてたのに忘れるわ、慌ててカウント出さずにはじめるわ…で、いやぁ、ご迷惑をおかけしました。まぁ、俺ったら天然パーです。
 ムービーも妻に撮ってもらったのですが、ぼくの前で撮っているので本来なら脇役のぼくばかり映っていて、キーボードの武田さんもドラムの鎌田さんも映っておらず、岡澤さんも譜面台で顔が映っていないので、どんなバンドだったかわからないムービーになってしまい、アップするかどうか、ちょっとためらっています…。
 しかし、ミストーンズの音って、鎌田さんのドラムなんだよなぁ…と強く感じる夜でした。
 ただ上手いだけのドラマーはいくらでも居ると思うけど、鎌田さんの音のように、締まったタイトさと、ゆったりした中に安定したシングルストロークの6連符の速いブレーズが散りばめられ、なんというか、ビリーコブハムがスティーブガットのフレーズを叩いているような…。
 そして、言っちゃえばぼくが今一番気に入っているドラマーのマヌカチェにも音色が近い感じがする…。
 とにかく、素晴らしいドラマーだなと思う方々とも数人は演奏して来ていると思っていますが、ラディックの6インチ半のスネアの裏から聴こえてくる音色の素晴らしさが他のドラマーとは格段に違います。なんて良い音なんでしょう…。
 実は、今、娘の美妃とやっているバンドの打ち込みドラムですが、タイミングとか合わせとか、オカズとか、基本のドラムイメージとか…、ぼくが打ち込んだ曲では常に鎌田さんのイメージがあって作って来ました。それくらい、ぼくにとっては影響を受けているドラマーです。
 それに中ちんのベース。
 ぼくは自分の理想のベーシストのイメージを強く村上にお願いして来たと思っていますが、ただひとつ村上ができないスタイル、控え目なアンサンブリストでありながらもキラッと光るテクニカルなプレイ…両立って難しいというか…、自分以外のプレイヤーのプレイを楽しみながらそれを広げ、かつ、鎌田さんとタイトに拍間の空間まで演出する…かなりな余裕でプレイしなくちゃ、こうはいかない…。
 しかも、音量の大小に関係なく、バスドラとビシッとあった音色でありながら、タイトでまったく煩くなくて、ギターやキーボードとの音かぶりも本当に少ない…。これって、本当に凄い事だと思います。
 素晴らしい実績の岡澤さん、武田さん、ついでにぼくの上物楽器だけではミストーンズにはなれなかったけど、やっぱりこのドラムとベースだからあのサウンドになったんだったんだとつくづく感じる夜でした。
 バンドとしては失敗したバンドという事になりますが、ハワイで行われるとあるコンテストに出場していたバンドを素行不良でクビになった(リハーサル時の泥酔)ものの、そのコンテストの主催者のバックバンドに誘われ、山崎さんという作曲家のバックバンドのオーディションに受かっていたのに辞めてそのコンテストの主催者バンドに加入(理由はハワイの渡航費用の返金がないと知って、ならもったいないからハワイに行こう…という理由)、その後、そのバンドはそのコンテストの事務所を離れ、宮﨑謙実とバンドを組み、キーボードプレイヤーが武田さんに変更し、ケンミミストーンズのカタチになりましたが、当時、それぞれの個人ではステージ/スタジオミュージシャンとしてガンガン活躍していたバンドに引っ張ってくれたのは沢山の芸能人のバックバンドやプロデュースもされているぼくの好きなところでは柳ジョージのバックも務めたギターの岡澤さんが、クビになる前のぼくのプレイを見て引抜きを意見してくれたからでしたが、最初はいくらでも他をあたれるのに、なぜぼくのようなプロ経験がない者から引っ張るのか?と思われたのではないかと思います。
 同じメンバーでケンミミストーンズ以外の仕事もやって来ましたが、その際のリーダーは岡澤さんか鎌田さんでしたが、ケンミミストーンズはぼくのカラーで…という事だったので、のびのびやらせてもらいました。
 成功出来なかったバンドだし、レッドショック時代のファンの方々には顔も覚えていただける事はなかったけれど、ぼくの人生の中では間違いなく素晴らしいバンドだったと感じているし、今でもぼくのバンドの音づくりの教科書にしているし、ぼくらしい中途半端な立ち位置(バンドのメインじゃないけど、メンバーからも浮いた宙ぶらりんな立ち位置?)を決定づけ、その立ち位置以外では音楽をやりづらく感じることがわかった貴重な時間をくれたバンドだったと思います。
 40数年ぶりの演奏に感じたところは、そんな感じでした。

 で、家に帰ったらフットスイッチが届いていました。これで理想のエフェクターのセッティングが出来上がりです。マジックテープを貼らなくちゃ。
 と、やはりギターケースを背負って歩くと腰が痛くなってしまったので、今日は整形外科。
 帰りにラフィエスタでランチしました。

追伸
 やっぱり当日のライブの様子のムービーをアップしました。
あまりメンバーがちゃんと映っていませんが・・・。

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