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うれしい集客

2018/11/09 00:00

 さて、あさって11月11日(日)18時から、地元六角橋のSammy's Hawaiian Cafeで対バンに"Hawaiian Groovers"さんを迎えてのライブです。

 いつもだったらどなたも来ていただける形跡もなく、集客の不安で胃が痛くなったり、当日はガッカリしてしまったりするところなのですが、今回は違います!
 カーナビーツの越川さん、商店街のドン・花屋さん、それに妙蓮寺の喫茶店"One Drip Cafe"のマスターが2人でいらしてくださるということは決定していたので、うちの家族を含めて悪くとも7席は埋まる予定がありましたから、ちょっと気が楽でした。

 それなのに、大学時代の軽音の友だちが2組(3~4人)来てくれると連絡があり、なんとウチのお客様だけで久々に10席を超える、我々としては"超大入り"の集客が見込めることとなりました。

 たったそれだけで喜ぶとは貧困だなぁとバカにしている方も多いかと存じますが、ここ"Sammy's Hawaiian Cafe"は17席で満員の小さなお店ですから、あとはメンバーが座ると、なんと満席になっちゃうのですよ~。

 どんなお店であっても、ライブをやるからには満席を目指すのは当然の事だと思っています。
 そういった意味で"Sammy's Hawaiian Cafe"よりも小さなお店で演奏できる場所というのは存在しないかと思いますので、この場でのライブは本当に自分にとって「最後の砦」のような感覚です。
 この規模なので、何度かお店が満員の状態でライブになったこともありますが、その満員は自分たちのお客様によるものではなく、どれも対バンのお客様に半数以上を頼っての事でした。

 それが、今回は自分たちのお客様(と出演者)だけで満員になる可能性が高いのです。これはとっても「なりたい自分」でしたから、やっと・・・という思いもあり、ひとつの達成感のような思いも感じられるかと思います。

 いやね。。。35年以上昔だったら20~30人のお客様を集めることは案外容易にできたのですよ。。。まだその頃にはぼくにも「期待」みたいなものがかけられていたので・・・。
 しかし、来年60歳の自分は、「音楽も駄目だったし、サラリーマンとしてもダメだったね。音楽も仕事も中途半端な、いわゆる残念な人生でした。」という結論が出てしまった後ですから、新たに興味を持っていただけたり、応援したいと思っていただけたりはし難い状態になっているのですから。
 だから、家族除いて10人に集客が達する可能性がある・・・というのは素晴らしいことなんです。

 なんだか今ぼくは、そういった意味で至福の時を過ごさせていただいています。
 ご来場いただける皆様のおかげで、ぼくは本当に幸せです。有難うございます。


 今回は「赤い竜組曲」と「人形大戦組曲」の2組曲でライブをやりますが、また1月にも"Sammy's Hawaiian Cafe"でのライブを計画中で、その時は「続・人形大戦組曲」を中心にライブしたいと思いますが、その時に1曲だけ、超ウルトラスペシャルデラックスプレミアムカスタム特別企画で、超ウルトラスペシャルカスタムデラックスプレミアムな凄えボーカリストをゲストに迎えて、超変てこりんなぼく流アレンジによるカーナビーツのヒット曲をやってみようかな・・・と考えています。

 いや、なんでそんなことを目論んでいるのかと申しますと、当然、カーナビーツの越川さんが懇意にしてくださって娘たちを可愛がっていただいていることもあり、カーナビーツのヒット曲を・・・というところが一番なのですが。。。

 そういう中で、ぼくらの世代まではグループサウンズらしい演奏でも楽しめるのですが、流石に1990年代が生まれた頃で2000年代からがやっと記憶のある時代の若い人(もうすでに若い人の中では高齢層になりつつある年代)が音楽を聴く世代の中心と考えるとですね。。。
 ぼくらがビートルズ以前のオールディーズロックンロールに遡って聴いていたのが、その世代にとっては1980年代のU2やポリスあたり、リアルに聴いたのはニルヴァーナやオアシスあたりなわけです。

 その子らにとってGSの感覚は、ぼくらで考えると1940年代のキューバ・マンボやチャチャをイメージするくらい古くて違和感を持つ(まれに違和感を持たず夢中になる人もいますが、人数としては希少価値といってもいいと思います)、そのくらいの感覚のズレは生じてしまうのは仕方のないことだと思います。
 いくら昔は凄かった・昔は最高だったとしても、多くの若者にとっては「???」になってしまうのは、よっぽど軽音楽の歴史オタクにならない限りは難しいのが現状だとぼくは感じています。

 彼ら・彼女らにいろいろな過去の曲を聴かせると、聴きなれてくると1970年代のロックまでは聴くようになるのですが、聴きなれない時期でも1980年代の音楽は案外とっつきやすいようで自然に聴くし、ファンにもなっているようです。
 ちょうどぼくらがクリームやツェッペリンの初期に夢中になったのと同じような時代時期間ですね。
 越川さんの現在プレイしている内容はぼくより年上の方に向けた「当時の雰囲気を味わいたい方」への大切な維持すべき演奏だと思いますので、それを否定するような考えはありません。

 けれど、ぼくの方向性は誤っているかもしれないけれど、一旦、1986年くらいをタイムマシーンの現在位置として1960年代のカーナビーツを振り返りながら、その後のロックの動向にあえて流されてみて、かつ、1986年以降の未来を想像する(実際には想像ではなく、つまらなく発展した部分を自分が面白いと感じる未来にしていく作業)というような、幾重にも時代が重複(同居)するアレンジ・・・という、ぼくの音楽の作り方の基本路線で「どうなってしまうのか・・・」を実験してみたいのです。

 その実験をするのに、現在、越川さんが歌っているキーに変調したキーでも素晴らしい歌を歌っていただけるような「キーなんか関係ねーよ。こちとら江戸っ子でぇ。」というような超ウルトラ助っ人ボーカリストにお願い出来なければ、もしぼくなどがいい加減に歌ってやってしまったとすれば、それこそ越川さんを冒涜したことになっちゃいますから、ここは完璧を求めて「たった1曲ですが歌いに来てください」とロックの大先輩ボーカリストにお願いしちゃおうとしているわけです。

 ぼくの持ち味というか、ぼくの魅力っていうのを自分で言うのも変ですが(笑)、ギタープレイとかは全然大したことは無く、ぼくに価値があるとすればぼくだけの力ではなく、スクラムを組んだバンドメンバーとのアレンジ間における絶妙なバランスづくり、超簡単な演奏から忙しバンドまで1曲内で表現するよーく聴くとお笑いな演奏アレンジ、少なくとも1960年代初頭から1990年代までのプレイが常に共存する1曲内タイムマシーンアレンジではないかなと思います。
 なぜそのように考えるに至ったか・・・ですが、「はじめて聴くあまり聴いたことのないサウンドだけど、なぜか(どの世代の人が聴いても)懐かしいと感じる心地よさ。」という音楽を目指しているからです。
 だから「紙芝居のような組曲音楽」であり、ライブは「オトナの幼稚園」にしたいと考えているわけです。

 なんだか、お客様がライブに来ていただけるということひとつだけで、強烈に心がポジティブになります。
本当に有難いです。

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