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2019/03/15 00:00

 12~14日の間、心臓血管の詰まり具合の検査で横浜労災病院に入院していました。
 入院前の負荷心電図と冠動脈CTの検査の結果ではクロ(血管の詰まり具合が7割くらいを想定)だったのですが、入院しての実際に狭くなった患部の心臓血管の中を見たところ、狭窄は50%未満だったため、手術は避けられましたので、早期退院できました。
 まぁ、心血管がギリギリの詰り状態の場所がある爆弾を抱えた状態ではあるのですが、手術をするリスクとを比較すると、今の状態ならばしない方がリスクが低いということのようです。
 気をつけて品行方正な生活をしないといけなくなりますが、とりあえずは手術を避けられたということで・・・、ご心配をおかけした皆様、中止した3月3日のライブにご来場予定だった方、ご迷惑をおかけしました。

 さて、全然話は変わりますが、本人は全然乗り気でなくてぼくの空想について今日は書いてみたいと思います。

 ぼくにとってみると今のぼくのバンド"Beware of Moving Wax doll"(5月に”Blanche”に名称変更予定)が自分自身のサウンドではありますが、イメージの中心はボーカルを担当する娘の美妃においているので、ぼくなりに「年寄りの冷や水」的に若い方向へシフトしているつもりのサウンドなんです(これでもレトロでなくナウいつもり・・・)。

 娘もオトナになり、だんだん、音楽だけに夢中になっている父親の人生にも嫌気がさして来ているかもしれませんし、もうお嫁にいく年齢になっているので、この親子バンドだけを自分の墓場まで持ち込む音楽にしていくのは難しく、それでは来年くらいに突如音楽人生が終わってしまっても仕方ない状況になってしまうのではないかとも感じています。
娘には音楽を続けて欲しいし、ぼくが死んだ後も一緒に音楽をやってくれる伴侶が必要だと思ってますし・・・(作曲やバンドアレンジが得意なキーボードプレイヤーの方とかで娘に良い方いないかなぁ~)。それとは別ににぼくにはやり残していることがあるのです。

 ぼくにはどうしてももうひとり一緒に音楽をやりたいと思っている人がいまして、こんな風にできたらいいなと勝手に思い続けています。それが出来たら、すべての自分の音楽が完成できる時なんだと思いますが、当の本人はまったく新しい曲を作って歌うなどとは、残念ながら思っていないようですけれど・・・、なので、これはぼくの勝手な妄想です。

 まず、その人とは35年前にぼくが加入していた”Kenmi MissTones”の主役でありボーカリストの宮崎謙実なのですが、正直言ってそのまた前のバンド・レッドショックやメイベリンで40年近く前にテレビ番組にレギュラー出演していた頃の昔のようなカッコ良さを維持できているわけでは無いものの、60歳をとうに過ぎてもそれなりにカッコいいお爺さんです(笑)。

 ぼくの望みとしては、全曲新曲で宮崎謙実の生ギターの弾き語りにエレキギターを乗せる2人のスタイルでライブをSammy'sでやれるようにしていく。
 次の段階でそれにちょこっと手持ちで運べる程度の小型キーボード等で武田さんか、ギターで岡澤さんが参加(この2+1=3人編成まではSammy'sで演奏)、この編成では最終的に長洲さんや内海さんの前座でSammy’sに出していただけるのを目標に頑張りたいと・・・。

 さらに格上げの編成でベース・キーボード・ギター×2に鎌田さんのドラムが加わり、バンド形式となってライブハウスでのライブを目指す。(細川さんと内海さんのユニットやバカバッカの前座を目指したい。江尻さんのバンドともジョイントしたい。)

みたいな感じで、Sammy’sでの2人簡易ライブを基本の元として、その活動に+バンド化した新生Kenmi MissTonesを再興するのが夢なのですが、夢が実現するのとぼくが心臓疾患や糖尿病の合併症で死んでしまうのとどちらが早いかはわからないという・・・、なんとも単なる悲しき願望の話です(笑)。

 いや、もしそういう事を本気で真剣にしていこうという事になったら、普通に考えれば定年再雇用で定年後も細々と今までどおりサラリーマンとして働くぼくと一緒にやろうとは思わず、ちゃんと音楽を職業として営業面でちゃんとできる人たちとプレイして収益化しようと思うでしょうね~(笑)。

 単純に、ぼく自身が音楽をやり足りないと感じてそう思っているのか、はたまた自分の人生に残された時間がそう多くなく、また、9月の定年退職以後の定年再雇用で年収が1/3に激減となって、ちょっとライブでもチャージ料(または投げ銭)をいただかないと活動していけない=お金をいただくべき人物でライブしないといただくわけにはいかないかも・・・という気持ちからなのか・・・、はたまた、年齢相応の音楽内容から15年近く離れているので年齢にふさわしい感じがする音楽もやりたいと思っているのか・・・(結果的にはたいして変わらないと思うけど・・・)本当の自分の気持ちは不明です。

 多くの友人たちのように自分の還暦祝いとかをプロデュースしてくださる方はいないのでぼくには何もありませんが、謙実氏の還暦パーティー・誠一郎さんの61歳パーティーと、Kenmi MissTonesのメンバーが集まることがあったため、「宮崎謙実とバンドをやりたいけれど、昔の曲をそのままのキーで歌うのには如何にせん無理がある(音程に無理がある)」「良いバンドだったと自分では思っているけれどプロデュースや柳ジョージのバンド等で音楽的に最後まで成功したのは岡澤さん1人だけだし、バンドとして過去回想的に懐かしむより、今の時代でややレトロに感じる新曲で勝負したい気持ちもある」「小さな店で1~2人で演奏しているメジャーの方々を見て、そういうカタチで作ったものを原点として、それに肉付けしてバンドにもしていくというようなやり方をしてみたい(小さい店での原点ライブと豪華なバンドでのライブを両立)」「娘と音楽をやりはじめた時から自分の中では封印していた”Blues Rock”的な音楽や単純なロックンロールもやりたくなってきた」ということは確かかと思います。

 今の活動ペースや集客状態で言っても「戯言」に思われちゃうのですが、自分の本当の気持ちとしては1週間に1度くらいライブをやりたい気持ちがありまして(笑)、週間スケジュールの夢は、「金曜日2人編成ライブ(宮崎謙実)・土曜日夜か日曜昼間(村上宅でBMWd練習・毎週ライブなら練習は月2回くらいでいい)・日曜日(Blancheライブ)」2人編成の練習も曲が揃えば月2回くらいで土曜か日曜の昼間・・・なんていうのが理想の生活なんですが、まぁ、弱った心臓がもたないとも思えるし、一生かかっても無理なんだろうなぁ~。

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