BLOG

 

あけましておめでとうございます

2017/01/05 00:00

 明けましておめでとうございます。本年もBMWdをよろしくお願い申し上げます。

 皆様、お正月はどう過ごされましたでしょうか。

 ぼくはクリスマスに伊豆の温泉に行ったりしましたが、正月は家で映画を見るのが中心の毎日で、ワイン飲み過ぎ、つまみ食べ過ぎで、デブ増強してしまいました・・・。
 壊れている心臓を守るためにも太らないようにしなくてはならないのですが、完全にリバウンド終了してしまいました。。。

 写真は文面にあまり関係なく、昨日、中華街のチャイハネで買ったカーテンと洋服の写真です(笑)
 カーテンがビリビリに破れて焼けてしまっていたので替えたいなと思っていました。
 最近、演奏中も寒く感じることが多いので(昔はかなり涼しくても演奏中は暑かった)、コートとセーターの中間くらいの暖かさの洋服がこの季節は重宝するため、2つのアウターともに同じものなのですが、珍しい緑のグラデーションのものと紺色のものを買ってしまいました。
 演奏時は長袖Tシャツの上に着て、昼間の外出時には中に薄手のセーターかまたはヒートテックの重ね着で良さそうです。夜はちょっと寒いかな・・・。
 もうちょっとで60歳といい歳して変な若者のようなカッコしてる・・・非常におぞましい・・・とお感じになる方も多いかと思いますが、30歳ちょっと前くらいからクルタとかこんなタイプの服を着て来た自分としてはあまり違和感がなかったりします。
 目指すところは「ミュージシャンらしい姿」ですが、ぼくにとってミュージシャンとは煌びやかでカッコいいナウなヤングとか超人的なテクニックの持ち主とかいうよりも、元来あった元々の姿です。
 すなわち、太古の昔、弓矢で獲物が捕れずに弓を弾いたりして奏でながら神託めいたことをいい加減に宣ってみんなの獲物を奪っていた詐欺師ペテン師野郎な初代ミュージシャンを受け継ぐ、かなりいかがわしい雰囲気のヤツっていうところです。
 本当になりたい姿は中世の魔術師なのですが(笑)、今年のぼくはそういったカラーを自身に強く乗せこんでいきたいと思っています(笑)

 さて、バンドとしては2日に集まり、1月29日にライブを予定しておりますが、その際に演奏する曲を曲順含めて決定しました。

 1月29日のライブは、12月のライブとは1曲も被ることなく違う曲で50~60分の演奏を行うつもりです。
 
 そのため、美妃が歌う曲1曲とぼくの歌う曲1曲の2曲になりますが、過去の曲を復活させることにしました。

 美妃の歌う「あやつり人形」という曲はたしか2006年に作った曲でドラムマシンのデータがあるため、それをそのまま使うことにします。
 12月のライブの際に来てくださったカーナビーツの越川さんが「ツェッペリンのコピーバンドに混じってギター弾いて来る。」とおっしゃっていた時に、「あぁ、そういえばぼくらのオリジナル曲の中でも、ツェッペリン風(聖なる館風?)と言えないこともないハードロックな曲があった。」と思い出しました。
 ぼくがトルコ料理屋さんで踊り子の女性に手を引かれて無理矢理ベリーダンスを踊らさせられた時の強烈なリズムが頭から離れなくなり、それをややテンポダウンしたイメージと、なぜか日本的に竹取物語のようなイメージをゴチャ混ぜにして出来たものに、当時のドラマーの西野が歌詞を載せた曲でした。
 なんでベリーダンスとかぐや姫のイメージがツェッペリン風に結び付くのかは大変疑問でしょうが、本当にそうなのだから仕方ありません(笑)。

もう一方のぼくが歌う静かめな曲は2004年くらいに作ったとても暗い曲です。正月はその曲のドラムを打ち込んでいました。特にシンセ等は録音せずにライブでは美妃がエレピを弾きます。
 この曲については、「ピーターパン」という本を読んでみて、まるっきりあの有名な「ピーターパン」のお話とは違っていて母親に捨てられ公園で鳥に育てられている弱虫泣き虫の劣等生幼児ピーターが、迷い込んできた幼女メイミーちゃんに励まされながら生きようとするのですが、メイミーちゃんは彼女の家族のもとに帰っていき、ピーターは悲しんでいるというような暗いお話でした。
あの有名な「ピーターパン」のお話は、原作の「ピーターパン」ではなく、その後のピーターパンとしてクリスマス用の演劇のために書かれた「ピーターとウェンディー」であったことを知りました。
しかし、「ピーターとウェンディー」でも「ママなんて嫌いだ」と言いながら窓から家族を覗き、半ベソかいて影を追いかけて影を自分に縫い付けてもらった途端に得意げになる一種奇妙な行動に、「あっ、この子はあの弱虫ピーターだ」と証明し、また、作者の演じた兄弟と母親の実際の関係(コンプレックス)をも証している重要な部分なのです。

ピーターとウェンディーではなくピーターパンの本のあとがきに、その作者であるバリさんの生涯について書かれていました。

バリさんの兄は子供のころに亡くなってしまったそうですが、母親はその兄を溺愛していたため、バリさんへの愛は置き去りにされて母親はただ兄の死を悲しんでいたとのことです。
幼いバリさんはお兄さんの物まねを母親の前ですることにより、母親の関心と元気を持たせたようですが、母親は兄の亡霊を愛し、バリさんは大人になると子ども時代しか存在しない兄に似なくなってしまう恐れから大人になることを拒絶して「兄の影」として生き、そのため成長が著しく遅かったそうです。
バリさんは「ただ母親に愛されたくて、もう死んで存在しない兄を演じ、自分をもたずオトナになるのを拒絶した影の存在」だったのです。

バリさんがピーターパンのモデルとしたのはケンジントン公園で遊ぶ未亡人の下の子どもと言われていますが、きっと子どもの遊びの中から自分自身の姿を感じたのかもしれませんね・・・。
 ピーターがベソかいて影を追いかけるのは、きっと影であるバリさんが実体のないピーターに影の存在意義を認めさせているシーンでもあり、自立できない影である自分のジレンマを描いているわけで、その大元に「母親に愛されたい」というコンプレックスがあった・・・と説明しているのだと思います。
 ピーターというヒーローはコンプレックスのかたまりである影が作った虚像・・・。けれどもそれゆえに美しい存在なのです。

 お兄さんの影を演じて存在しないお兄さんの子ども時代を延長する世界・・・、影は美しい夢と冒険をつくっていきます。存在しないものが生き続ける「無いの世界(Never Land)」で・・・。けれど、記憶や創造の心があるうちには無いの世界は存在するのです。
 思うに母親に捨てられてどうしていいかわからない弱虫泣き虫の最初のピーターパンこそがバリさん自身だったのでしょう。
 そのピーターパンは、自分自身の人生を生きるのはやめ、母親の望む兄を演じる影になったのです。生きて存在するものが影となり、死んで存在しないものが主役となって大活躍することにしたのですね。
 でも、ヒロインのウェンディーは恋する相手ではなく、ピーターたち無いの世界をさまよう孤児の母親役を演じられる少女でした。欲しいのは彼女ではなくて母親であり続けたわけですね。
 いえ、バリさんにとっては恋する相手も母親像の中の一部だったのかもしれませんね。
 そんなバリさんの思ったであろう気持ちをぼくなりに曲にしたのが「Peter’s shadow」という曲です。

 そんな具合で1月29日にはそんな新たな2曲を加えて、赤い竜組曲と数曲のオリジナル曲でライブします。
 評判が良ければまたその2曲をやろうかなと思いますが、今のところは1月29日限定の2曲のつもりです。

日時: 1月29日(日)午後2時~
場所: Sammy’s Hawaiian Café (東横線「白楽」駅そば)
料金: チャージ料なし(1オーダー必須…コーヒー500円)
ジョイント: Hawaiian Groover’s

この情報をシェア

COMMENT

何らかのエラーがあり登録できませんでした。
入力に不備があります

↓↓ 2017年1月の記事 ↓↓

ARCHIVE

TAGS