今日はバレンタインデーですね~。
こんなぼくでも、昔はたくさんのチョコをいただいたものです。まっ、ちゃんと沢山もらえた時期は2年間くらいしかなく、それ以後は「たくさん」とは言っても超義理チョコで「チロルチョコ1ケがたくさん・・・」みたいな感じでしたけどね(笑)。
社内でチョコ配りとかしなくなったので、友達いないし知り合いの少ないぼくは、ここのところ数年は妻からと娘からの義理チョコだけになりました。でも、今年は娘からはもらえそうも無いかな。。。
とはいえ、妻が居るのでゼロにはならず、たったひとつではあってもチョコがいただける有難みを感じています。
チョコは日本だけの風習で発祥は銀座らしいけれど、その辺はいいとして・・・(笑)。
聖人となったバレンタインさんはキリスト教迫害期にあった西暦200年頃のローマ(イタリア北部)を生きた神父さん。
戦争に行きたがらないローマの若者たち、その理由が幸せな家族や妻になる人が居るからだということで当時のローマ皇帝は結婚を禁じて徴兵したそうです。
そんな中、禁じられたはずの結婚を認め、結婚式を執り行っていたのがバレンタインさん。最後は死刑にされてしまうのですが、獄中で看守?だったかその娘の盲目を祈りの力で癒して治してしまい、それがもととなって危険人物とされたのでしょう・・・処刑されてしまったそうです。
バレンタインさんが目の見えるようになった娘に充てて書いた手紙があったそうですが、彼は命を懸けて神の愛を娘に贈ったのですから、神の愛と御心を切々と手紙に書いたのかと思います。
時代は変わり、キリスト教は弾圧からローマの国教へと変わっていき、その後にカードに書かれた女性がカードを引いた男性のものになるというような縁結び的なお祭りが流行ったそうで、その時期の風紀の乱れを正そうとし、カードに女性の名前ではなく聖人の名前を記載してその聖人にあやかった1年間をおくるという内容に祭りを改め、その祭主にバレンタインさんが選ばれたとのことです。
なぜバレンタインさんなのかと言えば、カードを「娘への手紙」に見立てたからに他ならないでしょう。
実は、チョコではなくてその「命を懸けた愛を伝える手紙」が本来のバレンタインデーのプレゼントだったのですね。
なのでバレンタインデーのある国々では女性が愛の告白として「私のバレンタインになって」というような感じで男性にお手紙やカードをおくるようですね。
そして男性も同じように女性に愛の告白をカードや手紙でするようです。
まさに見えなかった愛を教えてくれたのはあなたです・・・というような告白なんでしょうね。
さて、ぼくは音楽とはもともと「何らかのカタチで愛を贈る、または送り、受信側とともに配信側も共有できる『愛にみたされた空間』を創ること」ではないかと思っております。
それが音楽におけるライブの醍醐味ではないのかと思って来ました。(なかなか集客力がない中では一方通行になり続けて惨敗している状況ではありますが・・・。)
クリスマスもバレンタインデーも、ぼくにとってはその本質においては音楽の大切な根幹と同じもののような気がします。
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