BLOG

 

ジュリーの件で思ったこと

2018/10/18 00:00

 昨日は、ジュリーのさいたまアリーナでのライブが中止となって大騒ぎになっていましたが、その際にぼくなりに報道されていた意見の中で憤りを感じるというか、違うのではないかと思った気持ちを書かせてもらいたいと思います。
 それは、自分がライブを行っている気持ちともリンクしていると、自分なりには思っているからです。

 チケットを購入して会場の目の前に居ながら「中止」を連絡された方々は非常にお気の毒だと思っています。
 けれど、中止になった理由として一部報道で「ジュリーはファンを大切にしない」なぜならば「みんなが聴きたい古い曲を中心にステージを組まず、新しい曲を中心としたステージを組み、一部のファンしか喜んでいない」というような記事が書かれていましたが、これに対してぼくは猛烈に腹が立つのです。

 要は「なつメロライブではなく、今も常に前進して新しい曲、今のジュリーを一生懸命伝えようとするライブ」の企画は要らず、「おまえは過去の人だから、なつメロだけやって、その時代の人だけが懐かしむライブをやれよ。その中にちょっとだけ今の曲をやっても我慢するから・・・」という意見を吐いているものを「ファンの気持ちの大半」として伝えているわけです。

 いやいや、違うんじゃないですか。。。
 それはタイガースの再結成ライブだったり、たまにある懐かしのGSライブみたいなものを望む声であって、失礼ながら、終わってしまったものを記憶に蘇らせるというような、50~40年前に少年少女だったみんなが懐かしむ会、演奏の中心は現役の人たちではなく、引退したり、不人気でメジャーを離れたりしている当時のスターたちがそんな懐メロ目的のお年寄りをメインのお客様として行う完全なる「過去の人たちによる過去のお客様を主体とした懐メロ企画」でしょう。。。

 たしかに、それを望むプレイヤーや年配のお客様は沢山いらっしゃると思います。
 けれど、ジュリーは過去の音楽の中で生きているだけの人じゃないし、常に「今」を頑張っている「現役の中の現役」なんじゃないでしょうか。

 ましてやトシちゃんや松田聖子が大スターだった時代に、ジュリーは「今のぼくはトシちゃんや聖子ちゃんがライバルです。」とおっしゃっていましたから、特に高齢者対象に懐メロをやる姿を「お客様の本意」などと言われても、ぼくは絶対に「No」です。「ふざけるな」です。

 これは、よく言うコピーバンドではない自分たちの音のあるバンドに対して、「オリジナル曲ではなく、知ってる曲(過去にヒットした曲で自分が気に入っている曲)をやってくれ。」という意見に近いと思います。
 要はそのような方々は、「どうでもいい興味のない人の演奏だが、自分の好きな曲をやるなら聴いてやる」という考えで、それがジュリーであろうが、プレイヤーなど「流し」に過ぎないとお考えなのではなかろうかと感じます。
 さしずめ彼らがジュリーに求めているのは「過去のジュリージュークボックス」みたいなものなのか。。。

 1960年代の音楽はぼくにとっても少年期だったので憧れだし、強い影響を受けた時代でもあります。
 古いものはぼくも好きです。

 古い時代のヒット曲を年配の方々が集まって気持ちを共有し合うことに否定的な気持ちもないどころか、それはそれで良い事だとも思っています。

 ただ、本当の気持ちとしては、その行為が「未来(若い世代)にGSの魅力を伝え、ずっと残っていくようにする」という事に結びつくとはぼくには思えないのです。

 本物のスタープレイヤーたちは、いつの時代にもその時々に君臨してその時代ごとに新曲をリリースしていると思うし、「過去のまま」を引きずれば引きづるほど、新しい世代にはあまりに簡素で歌詞も当時色が強すぎる内容に難色を示す人が多いと思うのです。

 もし曲を生かして残したいと思ったのならば、たとえばビレッジシンガーズがずっと「亜麻色の髪の乙女」を歌っていたのなら、きっと今のように多くの年齢層に伝わらなかったでしょう。
 その最たる例としてうちの子どもたちは、この曲は「島谷ひとみ」のために書かれた曲だと思っていました。
 聞きやすい近年の歌謡曲アレンジ(ややディスコっぽく)がされていて、古いイメージを残していなかったので当時の子どもたちにも聴き入れやすかったのだと思います。
 本当に若い世代にも残したいと思うなら、今のお年寄りとともに消滅していく音楽にしたくないのなら、ぼくは極端に違う音楽性のコンセプトで同じ曲を残して目立たせた方が良いのではないかと思います。根拠はありませんが、ガレージパンク好きの若者だけが聴いてくれる対象ではなくなるのではないかと思います。
 というか、ぼくがアレンジすれば、幅は1972~1986年くらいのイメージが強く出てくるし、英国と米国の音楽をカッチリ使い分ける年代ですから、そのようなイメージになるでしょう。
 当然、エレキギター中心のサウンドですが、土着性の強いフロアタムを多く利用したドラムのリズムが多くなるでしょう。
 逆に30代くらいのキーボードプレイヤーの方のアレンジだったりすると、それとは真逆なアレンジが出来上がることでしょう。

 話が逸れてしまいましたが、そのようなわけで、ぼくはたとえ過去のヒット曲の多いジュリーであっても、過去的な企画に特別に参加する等でないのならば、もともとずっと今を生きて来たのだからそうするべきだと感じました。
 ジュリーの過去の実績だけが好きで、今のジュリーに興味がないのならば、今らしいライブではなくて過去の企画ものを望んでそれに行けばよろしいんではないかと思います。


 実は、先日も昔一緒にバンドをやっていた宮崎謙実氏と話をした際のことですが。。。
 元のメンバーたちが還暦を迎える際に同窓会的にライブを行っていますが(前回はレッドショックとケンミミストーンズの合同バンドでした)、過去のオリジナルのロックンロール曲とオールディーズロックンロールの当時(1980年代最初の頃)アレンジしたものをやっていました。
 けれど、ぼくは歌として年齢的にKeyに無理もあるし、新しく新曲を作って「自分たちの今」を現したいなと言いましたが、謙実氏はどうも面倒な思いをして新しいものを創るより、過去のもので楽しみたいと考えているようでした。

 今のこの娘とのユニット"Beware of Moving Wax doll"では常に新しいオリジナル曲をと考えてやってきましたが、集客は厳しく、ぼくも来年還暦で確かに挑戦し続けるにはもう厳しいかなというところはあります。
 けれど、今という一瞬で過去になってしまう瞬快を大切にギターを弾いていたいという気持ちはまだ変えられそうもありません。

この情報をシェア

COMMENT

何らかのエラーがあり登録できませんでした。
入力に不備があります

↓↓ 2018年10月の記事 ↓↓

ARCHIVE

TAGS