震災の頃になにを考えていたのか…。
まだ心筋梗塞で死にかかるより数年前で、身体はまだ病院知らずで健康に近かった頃でした。
震災のショックや被害等は計り知れないものでしたし、その事について書くつもりはありません。
あくまでも、その時に自分が感じたこと、なぜ、組曲人形大戦を作ったかを、自分自身が忘れないように書き残しておきたいと思いました。
震災のショックはぼくには間接的なはずな距離でしたが、やり場のない苦しみを感じたり、生きていく意味を考えたり、良い事・悪いことの基準を考えさせられたりした記憶はしっかり覚えています。
なかても一番強烈で辛い怒りに似た気持ちになったのが、親たちを失って一人ぼっちになってしまった子どもの姿、子を失って呆然と悲しみさえ表現できない親たちの姿でした。地獄のように見えた。
ぼくは音楽を「夢みる力」だと思ってやってきましたが、それは「無気力の中でのヤル気」だったり、「幸せの中でのほんの少しの不幸」だったりには効能があっても、あの悲惨な状況の中ではあまりに無力で不必要だと感じました。
震災以前からはじめていた事ではありますが、特にフォークをやっている方々から「こんな時に電気を使って音楽をやるロックとかをやる連中の非常識さ」を連日のように叩かれて、ぼくは東京電力からの電気に依存せずに太陽光充電で充電単3電池を毎日充電し、その電力だけで出来る演奏形態を構築しました。
さらには災害時には楽器の大きさも極限まで小さくしないと邪魔になるので、ギター、アンプ、エフェクターを全て小型で単3電池のみで対応できるようにしました。
貴重なガソリンを使って発電機を回したり、東京電力からの電力を使ってPAや照明を使用しながら同様の事を言っているフォークミュージシャンがいれば、あなたはロックより悪く、ロックを批判する権利はないと戦おうと思いましたが、それだからといってその時にリアルな呼応をしている音楽を奏でているわけではなく、迷いの中にいました。
クルマについても、エコを考えるようになり、リッター5km程度しか都心部では走らなかった当時の愛車から、倍近く走るクルマに買い換えました。
その後、ドラマーがバンドを去り一時的に解散状態とし、約1年近くかかりましたがバンド名siloamからユニット名"Beware of Moving Wax doll"とし、ドラマーの募集はせず、残った3人(ギター私・ボーカル美妃・ベース村上)だけで、作成したリズムトラックのオケにあわせて演奏するスタイルでやっていくことにしました。
このユニットになった当初、演奏の仕方だけでなく、音楽に対する考え方も変化しました。
イメージからすると、以前はポップな歌謡路線との中道を行くようなロックで明るく楽しく夢に向かって前進しよう・・・という感覚から、どうしてもあの震災の時の孤児になってしまった子どもたちや、子どもを亡くして茫然と悲しみに立ちつくしていた方々の姿が忘れられず、ぼく自身、当時、今したいと思ったのは「鎮魂」だったように感じています。
1989年に作った「レクイエム」という曲をレパートリーに復活させたり、新たに作った組曲「人形大戦」は両親を失った少女が彼女の不思議な人形とともに幸せをどんどん創っていくお話でした。
組曲「人形大戦」は、ぼくにとっては震災で亡くなられた方への鎮魂であり、亡くなっても魂は生き続けるものであってほしいと願う気持ちだったかなと思います。
当初は、ドラムは単なる簡易的なリズムだけで、ライブではその場でリズム作成しながら進めていき、ライブで持つのはエレキギターではなくてギターシンセのつもりでいましたが、器材は大きくなるし、単調なリズムでは演奏が楽しめず、やはり、ベースとギターを除いたオケを作ってそれにあわせて演奏するというスタイルになりました。
音楽的にも以前のものより暗い雰囲気となったのは、そういった意味合いがあったこと、どうも自分がアメリカ方向を向けず、どんどんヨーロッパ方向に目線が移っていったことも要因だったかもしれません。
本作については暗くて嫌いと申される方も居られますが、いわゆる一般的に音楽に深い方々と言われる方と外国人には今までのぼくのオリジナルの中では一番評価していただけた作品だったと思います。(要はポップスでない歌謡曲度の低いロックだったということかと思います。)
数年後に組曲「続・人形大戦」を続編として発表しますが、その後の魔女と少女が大切にした「愛する気持ち」というものを最後に引きづって物語を本当のハッピーエンドに向かわせました。これで自分自身もとりあえずやりたい事は網羅できたかな・・・という感じで、今、新たに違う事をしたいという気持ちにはなっていません。
どうなのかな・・・。
自分が作って来た作品の中で、自分が良い組曲作品だと高位に思ったのは・・・ベスト3で考えると「siloamあぷさら」「人形大戦」「マーリンと赤い竜はユニコーンを救う」かな・・・。
他の組曲よりも音楽がどうの・・・・ということではなくて、ぼくの今を支える人生の中でそれぞれが大切な経過点だったからだと思います。
いや、演奏でいうと「siloamあぷさら」はドラム以外はすべてぼくの演奏ですし、「マーリンと赤い竜はユニコーンを救う」もメンバーが不在の時で演奏はぼくひとり・・・というわけで、非常にクウォリティが低い演奏ですから理想的な演奏をお聴きいただけているものではありませんでした。
あくまでも、その時の自分にとっては重要な経過点(迷いのなかでひとつの答えが自分なりに出せたと思えたもの)だったと思います。
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