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缶バッヂに思うこと

2018/08/08 00:00

 9月23日(日)18:30~にライブをやらせていただく、渋谷マホガニーのマスターから缶バッヂをもらった~。

終わってしまったサントリービールのストーンバー宣伝用の缶バッヂですが、サントリーはビール離れが進む若者に対してアピールする手段としてストーンズバーなるローリングストーンズをキャラクターとしたビール企画がストーンズバーだったようです。

 けどね、ストーンズキャラクターを喜ぶのは若者よりも明らかに中高年だろうと思うんですよね・・・、ターゲット若者でストーンズはどうだったのかなぁ。。。
それよりも、ぼくだけじゃないと思うけれど、若い頃に浴びるようにビールを飲んだ中高年は糖尿病になっている人も多いので、糖質の高いビールはあきらめて、ワインや焼酎に移行している人が多いから、ソフトなイメージなワインをハードボイルドまたはロックっぽくストーンズイメージに・・・たとえば「キースリチャードの血液入れ替え時に混ぜたブラッディーワイン」とか・・・そんなイメージとかで・・・、どうですかね~(笑)

 中学生の頃、ストーンズはかなり好きだったんです。けれど、大学生の頃、サンハウスやRCサクセションの爆発的人気、村八分とかが重なったような雰囲気を好むストーンズファンが多くなり、どちらかというとそうではなく、モータウン影響の強いビートルズに対するスタックス影響の強いストーンズの対比を楽しんでいた自分にとって、ストーンズの話をしていてスタックスの黒人たちやスティーブクロッパー・ダックダンの話を出すと嫌がられ、マディーウォータースの影響は色濃いのにストーンズは好きだけどブルースは嫌いといわれてしまう当時のストーンズファンの多くの方とうまくやっていけないな・・・という気持ちになり、ストーンズが好きという気持ちも封印してしまいました。
 いや、ビートルズについても当時は自分の心から封印していたかもしれません。

 1960年代はその出だしの頃ビートルズもストーンズも、不良っぽかったから好きとか、時代のスターだから好きという側面はあったのだろうと思いますが、明らかにそれ以前のロカビリースターとは違った「ボーカリスト1人がスターのバックバンドではなく、バンド全員がスターのバンド」であったことがそれまでとは違ってきたこと、アメリカの黒人サウンドに憧れた英国人の若者たちが自分たちの土着の音楽下地の上に憧れのサウンドをのせこんで作った「オリジナル曲」で勝負していたところかな・・・と思います。
 いわば、日本的に言えば、海外の模倣を自国の作風にのせこんでいた「グループサウンズ」の大元ではないでしょうか。。。
 だからぼくは、ビートルズやローリングストーンズについては、ソロの巨人たちの居るアメリカではない英国発祥のグループミュージックでグループサウンズの元祖というイメージで捉えていました。

 また、ぼくにとってローリングストーンズの魅力はそのバンドそのものの魅力よりも、楽曲そのものの気持ち良さにありまして、なんていうか・・・あのちっとも上手くないサティスファクションのイントロのギターがカーステレオから鳴ると、もう、気分はかなりいい感じになってしまう(笑)のです。(クルマで良い気分になる曲で他にはTレックスの”Get it on”とかですかね~)
 さらには、ぼくがストーンズの曲でカッコいいと最初に感じたテイクはストーンズではなくてGrand Funk Railroadの演奏する「ギミーシェルター」でした。
 リンダロンシュタットの「ダイスをころがせ」もカッコ良かったし、90年代以降の最近になってからはバネッサパラディーの「ひとりぼっちの世界」もいい感じだったし・・・、アレサフランクリンの「ジャンピンジャックフラッシュ」はもう最高にカッコ良過ぎたし、自分が演奏していて最高にノリノリでいけるのはやっぱり「ブラウンシュガー」だし・・・、とにかく様々なミュージシャンの様々なアレンジに絶妙にマッチするノリノリな曲の提供者であるところが一番の魅力に感じます。

 キースリチャードの存在感も重要だと思うけれど、ドラムとベースが淡々と演奏しているところに、その時代ごとの主役となっているギタリストがサウンドの核として存在していて、そのリードギタリストが替わると音楽性が変化することについては、ローリングストーンズとフリートウッドマックは似ているかもしれませんが、日本のストーンズファンは絶対認めないでしょうね(笑)。
 ミックジャガーは、ロックボーカリストのなんたるやを決定づけた「これがロックボーカル」だと感じます。べつに特に技術的ではないけれどカッコいい。カッコいいは人それぞれの感覚なのに、なぜか多くの人がカッコいいと感じてしまう。

 ぼくが好きだったストーンズはブライアンジョーンズ在籍時とミックテイラー在籍時の頃です。ロンウッド加入後のストーンズはあまり好きにはなれず、なんだかストーンズがストーンズのコピーをしているような変な感じがしてしまったんです。
 センセーショナルでロックの黎明期をつくったブライアンジョーンズの時期、音楽的に好みなスタックスソウルの影響が強かったミックテイラーの頃が、気に入る理由かと思います。

 ロックバンドがロックバンドであって、ソウル・ブルースのコピーバンドでない所以は、ぼくの感じるところ、音楽の中心がバンドのオリジナル曲であり、模倣を主としていないこと。
 それと、それまでのボーカリスト&バックバンドではなくて、楽器のソリスト&バックバンドでもなく、ほぼバンドのメンバーがフィフティーに存在感をもっているバンドこそが主役であるところ。
 だから、ぼくの感じる定義では「ボーカルがシャウトするのがロック」とか「ギターの音が歪んでいるからロック」とか、そういうことは全く関係なく、マニアの人たちがそれぞれの楽器プレイヤーに興味を持つスーパープレイヤーではなくて、それが上手かろうが下手であろうがバンド全員が営業的にも主役のグループサウンズ的なバンドと感じています。
 それが時代や進化によって形態を少しづつ変化させるもの・・・。

 スタジオミュージシャンになっていった友人たち、中にはプロデューサーにまでなった人もいますが、ぼくがその道を目指さなかった・・・いえ、努力が嫌いだから目指せなかったとも言えますが・・・(笑)、ギタープレイヤーの道を断念した理由は、ぼくはそのようなぼくのイメージする「ロックバンドのギタープレイヤー(弦楽器担当)」になりたかったからだと思っています。
 ぼくはダメで、なりたい自分になれませんでした。

 けれど、今、技術的にはかなり対応能力も劣ってしまい、個人の力量は落ちてしまったものの・・・、音楽としては今が一番思いどおりの内容が出来ているような気がします。
 素晴らしいバンドとは、メンバーの挿げ替えがききにくいひとりひとりが主役のバンド・・・(人はそれをビートルズっぽいと云うのかもしれません。)。
今のぼくたちのバンドはドラマーとキーボードプレイヤーが欠如していますが、敢えてメンバー募集はやめました。
本来は替えたくないメンバーがいたから、いつ来るのかわからない別の人の色を迎え入れるよりも、その代わりは機械と残ったメンバーで対応した方が良いと思ったからです。
音を出す集団であることが存在意義ではありますが、ロックバンドとは演奏する仲間たちであるのに加え、メンバーそのものの存在も同レベルで必要な存在意義なのだと感じています。

 そうですね。ぼくは個人の楽器プレイヤーになりたいと思えなかったし、ましてや一人で弾き語りなんて・・・その孤独に息が詰まりそうだし、バンドの音としても、人間の輪としても共に演奏してくれる仲間が必要です。一人じゃ何もできない私です。

 それにしても。。。明日からキャンプに行こうと思っているのに・・・これから台風ですか・・・。ついてないなぁ~。

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