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乗用車メーカーのエンブレム

2014/06/16 17:35

 "Gibson SG Standard2013"のトラスロッドカバーに何も文字が無くて寂しかったためBMWのマークを付けていたのですが、なんとなくイメージ的に"Steinberger Spirit GT-Pro"の方がBMWっぽい雰囲気(笑)なので、トーンポッドを取り去ったところにボリュームポッドを移して風穴になってしまった元のボリュームポッドの位置にBMWのバッチを貼ってしまいました。

 とすると"Gibson SG Standard2013"のトラスロッドカバーに穴が開いてしまったので、旧ROVERのエンブレムバッチを貼りました。
 うーん、ヘリテイジチェリーのSGにはROVERのエンブレムの方が似合っているかも!

 なぜクルマのブランドのエンブレム?と思いますよね。

 どうせ穴隠しなら、よくある「憧れのバンドのステッカー」とか「きれいにパテ埋めする」とか、関係ないクルマのブランドなんて…と思われるのは当然ですよね。

 単純に幼年期からクルマが好きだった…ということはあるのですが、ぼくの生まれたのは1959年で、古のオースティンが世界ではじめて生み出した一般普及向け小型車オースティン・セブンからはじまった自動車文化ですが、英国の国家的な方向性だった国民車思想としてオースティン・ミニ(モーリス・ミニマイナー)が生まれた年でした。

 また、日本では量販オリジナル車として世界戦略を最初に遂げたクルマが生まれた年でした。オースティンのクルマをノックダウン生産していた日産自動車がオースティンのクルマをベースに6気筒をセドリック、4気筒をブルーバードとして発売したのです。

 1959年に生まれたブルーバードはヨーロッパでスキーのジャンプ台を飛んだり、ラリーで続けて勝ったりと日本の力を見せつけて、日本のクルマのリーダーとして自動車産業をけん引し、その他の日本車がこれに連なったのは少年時代の強烈な印象でした。

 そんなブルーバードは英国オースティンを下敷きとした英国風のクルマでありながら、ドイツBMWのイメージカラーの紺色を車体色に持ち、家族の幸せの青い鳥…と宣伝されていました。
 これは後のSSSシリーズでわかるように、間違いなくBMW(現在の3シリーズ)への対抗を夢に描いて生まれたクルマ、いわゆる「英国風の品位あるコンパクトサルーンでありながら、BMWに並ぶ運動性能を発揮するのが日本のブルーバード」という夢だったように感じます。

 しかし、BMWも最初はオースティン・セブンのOEMとしてディキシーというクルマからクルマづくりをはじめた、ドイツ社ではあっても英国オースティンを親に持つ自動車メーカーです。

 ここでやたらと「オースティン」という英国の失われた自動車会社の名称が話に出て来ますが、ミニというクルマはBMW時代からはMINI、ROVER時代まではminiと書き分けられています。
 そのminiのROVERの破たん前の名称から名称をたどると、MG-ROVER…ROVER…AUSTIN-ROVERとなっており、ROVERとはBLMC時代にレイランドグループとジャガー・オースティングループがひとつになってからの後継なわけです。
 だから、ROVER=AUSTINなわけです。

 そのような話の前に、ROVERという会社はもとはスタンレー&サットンという会社で、自転車という乗り物を発明したメーカーで、その商品である自転車に「ROVER号」と名付けたので、最後までROVER75・ROVER400・ROVER25など、自転車時代から変わらない名称の付け方をクルマにもしてきました。
 だから、AUSTINやROVERに影響を受けないクルマなどは世の中に存在しなかったわけで、BMWもブルーバードもその影響下にあったもの…という意識がぼくにはあります。

 栄光のブルーバードは、ぼくの心の中ではSSSアテーサまでで終わり、そしてその名称もついに本当になくなってしまいました。

 ぼくは今、BMW 320i エクセレンスエディションというクルマに乗っています。
 BMWにしては英国車を意識した室内、ややスポーティな2000ccの4気筒エンジン…。
 カタチ、排気量、気筒数から考えてもスーパー・スピード・サスペション、スーパー・スポーツ・セダンという名前だったSSSにとても近い…要は、ブルーバードがあるべき姿であったらこうだった…というクルマそのものだと思っています。

 ブルーバードのない日産自動車は考えられないので、ぼくの心の中ではROVER同様に日産自動車はすでにないものです。
 ブルーバードが大好きだったから、その本当のライバルであり目標だったクルマに乗る。本当のブルーバードの姿を想像しながら…。

 これは1960年代〜1980年代を栄華の中心としたロックという音楽産業の時代にもリンクしています。
 英国ロック中心の時代とは、まさにminiにはじまりBLMCの頃の1960〜1970年代前半だったと思うし、日本のグループサウンズブームも同時期でブルーバード全盛期にリンクしていると思います。

 ロックの主流がアメリカに戻り、エンターテイメントなスターになっていく頃、SSおよびSSSの410〜510で最高にぼくの心に憧れを抱かせたブルーバードの日産はプリンス自動車と合併し、ブルーバードは英国風のたたずまいをやめ、鈍重でアメリカ人好みなイタリアン?なブルーバードUへと変わり、ぼくの憧れから遠のきました。

 1990年代に入り、1970年代初頭の人気ミュージシャンが多数カムバックし、聴かなくなっていたロックをまた聴きたいと思わせてくれる時代が始まった頃、当時ただのオヤジ車に成り下がっていたブルーバードはフルタイム4WDスポーツセダンという新しくもふさわしいジャンルで再登場。
 1970年代510SSSで終わっていたブルーバードへの希望が復活し、速攻SSSアテーサを買いました。

 当時は自分専用のminiと、父親と共有のブルーバードSSSアテーサの2台持ちでした。
燃費が悪いのは玉に傷だったけど、かなり良いクルマでした。
 けれど、残念ながらその後のブルーバードは進歩なく、かつ、事実上ブルーバードはなくなって1ランク下のサニーのコンポーネンツで作られたオバサン車をブルーバード・シルフィーという名前で出しました。
 そして2012年にはシルフィだけの名称となり、日本の栄光「ブルーバード」は名前すら消滅しました。

 日本のロックバンドというと、ぼくはどうしても最初に世界進出したということもあり、フラワートラベリンバンドが浮かびます。
 フラワートラベリンバンドは1970年代前半に最盛期を迎えながらも解散。グループサウンズからニューロックへの移行は業界の反発もあってか進まずに、ロックは衰退してフォークブームとなった。
 フォークブームは歌謡曲と同化し、アンダーグラウンド的なロックというようなものは聴かれ無いものになって行き、ロックの好きな者は洋楽以外聴かない時代になった。
 フラワートラベリンバンドのメンバーは吉田拓郎のバックバンドとなり、なんとなくロック命と思ってギターを弾いていた少年のぼくは敗北感を感じたものです(笑)。

 ここら辺がブルーバードがブルーバードらしさを失ったブルーバードUの時代です。

 2011年、ボーカルのジョー山中氏が亡くなるわけですが、2012年のブルーバード終了となんとなく重なります…。

 だから、ぼくにとって時代は「ブルーバード=ロック」だったし「ブルーバード=日本の誇り」に感じていたと思います。
 そんな意味で、もしギターにバッチを貼るなら、今、そのクルマが存在したのなら「SSS」だったことでしょう。

 けれどそれはなく、ブルーバードがそうあるべきだった本来の姿である現在の自分のクルマのBMW(320i エクセレンスエディション)と、そのBMWもDATSUNブルーバードも親としていたROVER(AUSTIN)のエンブレムを付け、ぼくのロックとして表現する道具とするのです。なんちゃって…(笑)

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