■大学時代~29歳
大学時代はバンヘイレンやTOTOの全盛期でしたが、あまり興味なく、ブルースブラザーズの影響でブッカーT&MG’s(スティーヴクロッパー)や、リンダロンシュタットやスティーヴィーニックス・カーラボノフなどのロサンジェルスロックのスタジオプレイヤーのワディーワクテル(浪人)、ザバンドのロビーロバートソンなどに傾倒しました。
ついては、大学時代はサム&デイブ・サムクック・オーティスレディング等のオールディーズソウル、西海岸フォークロックに注目していました。
今でも聴く音楽についてはサム&デイブ・サムクックが圧倒的に他の音楽に比べて多いです。
大学でクラブに入ってみると、先輩方があまりにも優れたミュージシャンでビックリ・・・。天狗になっていた自分のギタープレイなど、まるで赤ん坊のようなものだと感じ、随分と練習したような気がします。教えてくださる先輩もいらしたので、本当に感謝の時代でした。
ソウルバンド、フォークデュオのバック、いろいろやるようになり、ギターで仕事をすることも多くなり、やっと納得できるバンドが出来たのは21歳だったでしょうか、西海岸フォークロックとややサザンロックやザバンドのイメージを併せてローリングストーンズ風をちょっと載せこんだものをインチキなイーグルス風に仕上げたもの?がKenmi MissTonesで狙っていたイメージだったかな。。。
タレントさんのバックバンドのトラ・劇バンのトラ・CMの音楽演奏等の仕事としてギターを弾いた中で楽しかったものは、同じバンドでギターを弾いていた岡澤氏のトラではじめて経験した劇団シェークスピアシアターの芝居での旅公演生演奏、英会話学習のイングリッシュジャーナルに付属しているカセットテープ「ヒアリングマラソン」での音楽担当でした。「ヒアリングマラソン」のお仕事はバンドのメンバー全員でやっており、ぼくが作曲しての仕事だったので特に楽しい思い出でした。
音楽が主ではなく、芝居または英語ラジオ芝居の音楽担当が自分の心に残る楽しい仕事だったのは、今考えてみるとぼくの場合、音楽によって音楽が存在しているわけではなく、ストーリーがあってその具体化やイメージ化のために用いられるものとしての「音」の役目であり、あの「木馬座」というものが音楽の生成方法にも、あり方にも影響したままオトナになっていたことがわかります。
地元では地元の友人たちとオールディーズソウルコピーバンドをやっていましたが、やはりオリジナルな音楽をやりたい自分としてはKenmi MissTones解散後は地元のバンドも辞めてしまいました。
その後、20歳代後半は自分のバンドWonder Boysを結成し、Kenmi MissTonesのような音楽を続けつつ、好きだったザバンドからのつながりでサディコなど、セカンドラインの音楽にも興味を持ち、ロビーロバートソンのソロからコマンチの音楽や民族系プレイヤーにも興味をもったりしましたが、子どもも生まれて経済的にしっかりしなくてはと、30歳で音楽活動を辞めました。
大学時代は総じて自分がプレイヤーとして伸びた時期だったと思いますし、先輩・後輩に本当によくしていただきました。幼稚園時代も幸せを満喫していましたが、大学時代もそれに劣らず幸せな時代でした。(まぁ、満喫し過ぎて学業はほったらかしだったため、卒業できずに中退となりましたが・・・)
その後はアルバイトしながら音楽を続けるもパッとせず、バンドは解散・・・。結婚後は就職し、音楽はアマチュアで気楽に・・・と考えてみましたが、それでは続かないし、みんな辞めていって音楽自体をやめてしまいました。
今のバンドのルーツバンドではありますが、最初の頃の”Wonder Boys”はどんどん曲作りをしていったにも関わらず、ライブの機会が少なくて他人からは「阿久津は音楽を辞めた」と思われ、屈辱的だったりガッカリすることが多いバンド活動でした。
子どもが生まれて、音楽経費を捻出することが出来にくくなったのと、自分自身の諦めの気持ち、それに、音楽シーンが魅力的に感じなくなっていたし、音楽ジャンルや楽器のプレイに対する興味もどんどん減少していたのは確かです。
そんな音楽的には断末魔のような時期でしたが、最後の時期に良い思い出になったのは公務員のアマチュア劇団でオリジナル芝居を企画している方々の音楽担当をテーマソングから効果音まで「プリズム」「カレンダー」2作続けて担当したことです。
シェイクスピアシアターでプロの現場も見ているし、タイムにあわせた曲作り等も若干教えてもらっていたので、たぶん、素人芝居ではあり得ない音楽を提供できたはずだと思っています。
ぼくはバンド解散の中で一人になって考えると、音楽をやるためにギターを弾くのか、ギターを弾くために音楽をやるのか・・・、お客様の前で何を表わそうとしているのか・・・、自分自身が何をしているのかどうしたいのかわからなくなり、最終的には「ぼくは音楽が大して好きではない」という結論に達し、音楽が好きでないのなら楽器いじりのためだけに音楽を続けることはナンセンス・・・と考えて楽器を辞め、音楽を聴く事も完全に辞めて3年間の歳月が流れました。
・・・次回につづく・・・
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