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「バンドコンセプトと名称」

2020/08/25 20:00

 バンド(ユニット)の名称はある意味何らかの生き方の表現ではないかと思っています。
 そんな事について今日は考えてみたいと思います。ほんとかぁ(笑)

 今から46~47年前くらいでしょうか…ぼくの中学から高校時代にやっていたバンドはなかなかメンバーが定まらないばかりか、名前も決まらないバンドでしたが、最後に決まった名前は蛍という意味の「Fire Fly」でした。
 なんというか、いつもケツに火がついて行動するぼくに相応しい名称だな…と思いつつ、蛍は英語で書くと「火炎蠅」なのか…と、日本語のように情緒があるものに感じず、なにか人生の虚しさのようなものを表現したい気持ちになった事を思い出しました(笑)。
 名付けたのは当時のドラム担当西野がユーライアヒープの大ファンで、そのアルバムタイトルFire Flyからとったものでした。

 次は18~19歳くらいに高校時代の友人がボーカルではじめたリズム&ブルース風ロックバンド「Bolt's」でしたが、当時その名称のカレー店が気に入って良く行ったことと、Beatlesみたいな雰囲気のバンド名がいいって言うことでその名称にしました。
 カレーは様々なスパイスから出来ていると思いますが、友人関係での横つながりで集まったメンバーで、普通なら出会うことのない全く違った音楽性を持つ若者たちが、よく一つのバンドをやったなあと感心します。

 元メイベリン~レッドショックのボーカルとしてテレビ番組「ぎんざナウ」では人気者だった宮崎謙実を中心に、後に様々なプロデュースや柳ジョージのバンドのギタリストとして名声を得る岡澤敏夫など、当時は若手のスタジオミュージシャンでかためられたロックバンド「Kenmi MissTones」の名称の由来は…、他のメンバーはバリバリのスタジオワークをこなす初見バリバリのミュージシャンだったのに対し、ぼくは今もそうですが、譜面が読めず、フレーズがなかなか決まらず気分で弾くのでミストーンが多かったため、それにひっかけて「MissTones」という名前になりました。
 もともとはこのバンド、ハワイ音楽際というハワイで本選会のあるバンドコンテストのゲストバンドで、コンテストの主催事務所の競馬好きな社長さんが歌うバックバンドでオーバーレインボーというフュージョン系バンドでした。
 実はぼくはこのコンテストに出ていたフォークデュオ「シンドバット」のバックバンドのギターだったのですが、ハワイでの本選を目の前にして練習直前に泥酔とふだんのワンマンさからバックバンドをクビになってしまいました。
 いくつかオーディションを受けて受かった倉田まりこさんとかに曲を書いていた初期のエルトンジョンみたいな作曲家の方のバックバンドか、なんかわからん役者のタマゴみたいな人のロック系バックバンドに入るかの2択で悩んでいたところ、前述のハワイ音楽祭でのゲストバンドのギタリストに欠員が出来たので加入しないかとお誘いをいただいたところがはじまりでした。
 ハワイへの航空機等の費用はキャンセル料がかかってしまう事はわかっていたので、だったらもったいないから遊びついでに他のバンドや仕事はやめて、ハワイに行くバンドに加入することにしたのです。なんとも単純でおバカな発想です。
 このバンドではCMソングから英会話教材イングリッシュジャーナルの付録カセットテープ、ヒアリングマラソンの音楽担当、カラオケ用の生演奏など・・・とっても縁の下のお仕事をしましたが、岡澤さんが個人で受けている仕事がバッティングするとぼくをトラにして仕事をまわしてくれるのですが、譜面の読めないぼくですから直接何をどうやるかをバンドの練習後に説明しながら実際にギターを弾いてもらって覚える・・・というような手間をかけてまで仕事をさせてくれようとしていただいた事、忘れられませんし感謝しています。
 俳優座のシェイクスピアシアターの音楽や、太陽に吠えろのロッキー刑事役の木之元亮さんのバックは、忘れられない楽しいお仕事でした。

 けれど、ぼくはギターを弾く仕事をしたかったわけではなく、自分たちのオリジナル曲をプレイするロックミュージシャンになりたいと思っていたし、今も思っているので、結局、きちんと譜面を読めるようになろうとは思わずに一生をおくってしまいました。

 さて、要するにこのバンドはとっても演奏力が高くて素晴らしいバンドではあったのですが、ぜーんぜんロックじゃなくてつまらなかったわけです。
 そんな時に、こんなに良い演奏しているのにもっとカッコいいバンドがやりたくないか?と誘ってくれたのが宮崎謙実でした。
 謙実氏の構想では、ザ・バンドとローリングストーンズをあわせて、かつイーグルスイメージも併せたロックバンド…ということで、(ぼく的には勝手にバッドカンパニーのセカンドのイメージとジャクソンブラウンを併せたものと考えていましたが…)、ストーンズや、昔のキングトーンズなどの名称と、例のぼくのミストーンがあわされて"MissTones"となりました。
 このバンドが鳴かず飛ばずで解散したので、バンドがなくなって嫌々ギターの仕事を続ける気持ちにはなれず、音楽を職として続けていく事を断念し、結婚、人より10年遅れてサラリーマンに就職、アマチュアとしてBolt's時代の友人とブルースバンドをはじめましたが、やはり、オリジナル志向の考えは変えられず脱退し、そのバンドのベーシストだった村上と、当時ぼくのボーヤのように尽くしてくれていたギターとキーボードの片渕、それに中学時代からちょくちょく一緒にやっているドラムの西野で1987年にはじめたオリジナルバンドが今のバンドの前身の"Wonder Boys"でした。
 まだ私、20代最後の頃…、神童という名称が付けたかったんですね。
 何度も解散し、ぼく自身、1990~1993年の3年間はギターを辞め、音楽を聴くことすら辞めていました。そんな壊滅的な状況の中でも録音のみでバンドを復活し、Wonder Boysは1999年までで終わります。
 2000年以降はバンドメンバーは集まれない中、どうしてもライブ活動したくなりましたが、タイコと弦楽器だけの弾き語りをやるしかなくなり、フォークギターが苦手なぼくは何か面白い楽器がないか…と探して見つけたのが玩具レベルの安価なトルコのサズ(ジュラ)や西アフリカのコラ、それにシリアタイプの小型なウードでした。
 それを歌いながら独自に勝手に考えた奏法でプレイし、西野が叩くインドのカンジーラやコール、バクワジ、イランやエジプトのリクと合奏する、アコースティックな民族楽器で演奏するロックをはじめましたが、楽器の内容はイスラムっぽいにもかかわらず、音楽内容はそれに関係ないので、英語でなくイスラムでもない名称を…と思って考えたのが、あのイエスキリストが目の見えない方を癒したとされる泉の名称"siloam"のユニット名でした。
 癒し…という方向に頭が向いたのは、3台乗った英国車Roverから来る独特な癒され感、幸福感を表現したいと思っていたことが大きいと思います。

 いや、思えば前身の"Wonder Boys"結成の時も、考えてみたら音楽の話ではなくて、ベース村上とぼくが、お互いに同時期に全く同じ車"Rover mini"を購入して意気投合していたところから話がはじまったので、まさにクルマが結びつきを維持したユニットだなぁと思います。

 しかし、ぼく自身が歌いながら楽器をプレイする事に対し、自分のボーカルのワンパターンさや、歌う事による演奏の簡素化に嫌気がさし、ボーカル募集を行いました。
 けれど、加入する方は見つからず、お手伝いで歌ってくださる方がお二人見つかり、CDを1作作って民族楽器のユニットとしては活動を終了しました。

 村上がバンド活動に戻り通常のロックバンド編成となって一時期、名称をWonder Boysに戻してボーカル募集しましたが、入っては辞めの連続で定まらず、歌など歌ったことのない当時中学生だった娘の美妃に歌わせる事とし、全く音楽性も表現する手段も今までとは違う「何も特出したところもない超ド素人の娘の音楽活動成長日記」のようなバンド、その成長過程での演奏や楽器の工夫も楽しんで頂こうという方向で、名称もsiloamに戻しました。

 さて、ドラム西野が再婚し、やはりバンドより家庭とならざるを得ずバンドを脱退後は、次に加入してくれたドラムのゴンダさんも長続きせず、あの震災直後に行ったライブの際、ぼくの音楽の無力さを感じたり、電気を使うロックは非国民というようなフォークの人たちからの口撃に苦しみ、意地になって太陽光で充電した電池のみを使った超小音量の演奏ばかりに頭が向いていた矢先に、英国Rover社が破綻…。
 Rover社のクルマの持つ雰囲気、音楽的な表現の中心的イメージだったモダンレトロから、当時乗っていたRover75というクルマはルックスと乗り味は最高でしたが、燃費が悪くて故障が多かったので、ディーラーが消滅したのは非常に厳しく、考えをプレミアムコンパクトに切り替え、BMW 120iに乗り換えました。
 また、ドラマーを探すのは辞め、バンドではなくドラムは打ち込みのユニットにしていく事にし、ユニット名も"Beware of Moving Wax doll"(略してBMWd)と改名。
 夢に向かう内容の今までの音楽に震災時の無力さを感じたため、今すべき事は鎮魂と悲しみを乗り越えての復興への想いではないかと、音楽性もやや変化させました。
 次に買ったクルマBMW 320iの色も黒を選んだので、イメージは変わらず名称を継続。

 さて、昨年、私が60歳に到達したので、職場を定年退職し、年収1/3の高齢者再雇用となり、とても贅沢なクルマを所持出来なくなり、退職金で国産車より5年は維持費が安く乗れる低価格輸入コンパクトカー"Volkswagen UP!"を購入したのですが、なんと希望する黒がなく、あまりこれまで好んでいなかった白いクルマになってしまいました。
 ぼくにとっては、給料がもらえる65歳まで乗る人生最後のクルマです。
 その後は最低額の年金しかない厳しい生活なので、来月61歳になるぼくがギターを弾くのも、クルマに乗れるのも、あと4年が限度かもしれません…。(このホームページを閉めるであろう時期かもしれません。)
 そんな中で出会った白という最後の色。
 そして一応は高級車と言われたRover75~BMW320iの限定車からの乗り換えは、軽自動車より安いターボも付いていない1000ccの非力で小さなヨーロッパの軽とも言えるVolkswagen UP!(さらに一番低グレードモデル)。
 人生の最後の選択が輸入車ビギナー的なクルマの白だったのには、きっとやり残している事の意味がそこにある気がして、ユニット名をフランス語で「白」を意味する"Blanche "に変更し、音楽をはじめたばかりの中学生時代のピュアで真っ白な気持ちで音楽に取り組んで、どこかにビギナーを感じさせるキーワードを持ち、最後に最初に繋がるような真っ白なところに帰っていこうと考えました。

 長い年月プレイして来た割にはライブの数も少なかったなと思いますが、まだ、他人様に喜んでいただける演奏がしたいです。
 たぶん無事ならば、最大で月1回のライブをあと4年(12×4=48回)できます。

 もし、少しでもぼくたちの音を気に入ってくださっていたり、気になっていたりする方がおられたら、この残り48回のライブのどこかでお会いできたらいいなと思います。

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