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「何を大切に考えて音楽をやっているのか」

2020/10/11 19:00

 普段はあまり考えないのですが、たまに楽曲について、メッセージである歌詞が最重要だ…、いやメロディだ…、いやカッコいいリフのフレーズだ…、いやグルーヴだ…等と、最重要論をいわれていたりするのをみていてそれなりに考えてみることに・・・。

 ぼくは譜面も読めず独学なので論理的な解釈は出来ませんが、上記の重要視については、作り手からの感覚と聴き手の感覚が重ならない場合も多々あり、結論を作り手からか聴き手からのどちらから考えるのかで答えは大きく変化してしまうと思いました。

 すなわち、自分の作っている音楽が自分の嫌いな音楽ではない限りは、もし聴き手からの感覚評価であれば、自分が意見する事は無意味で、「自分の音楽はどう聴こえますか?」と、なるべく多くの方にアンケートして出たものが答えとなり、「あぁ、そうか、自分は○○を重視した曲を作っているのか…。」と認識すれば良いので、他人に何が重要だと言う意味がないでしょう。

 けれど、それは自分の意に合わない客観的な事実?を認めなければならないことにもなり、他人の感覚に自分の感覚を合わせる多数決によるものを正しい事としなければならないわけで、それは多数決結果と自分の感覚のイメージが合っていなかったならば「理解されない感性=才能がない」と解釈すべきなのか・・・等と感じてしまい、自分の事を他人の多数決で決定するのは非常におかしな事にも感じるわけです。

 そこで、自分自身はどう考えているのかを中心に考えてみると、正直、あまり歌詞の内容にはこだわっていないけれど、どうも言いたいことを並べてみると間接的に神様にお願いや感謝している気持ちみたいのが多い気がするから、歌詞的には根底にあるのは非常に信仰が弱っちい(笑)ゴスペルみたいな感覚があって、愛と希望を表現したいんだろうけど、それはあくまでもゴスペル的な神の愛であって、〇〇ちゃんが好き~愛してる・・・ではないようで、「愛されるに値しない自分などを愛してくださりありがとう・・・」のようなものかも・・・。
 しかもおかしなことに、原点になる発想は理不尽や不平不満が元になっていることが多く、それが自己解決できずに神様に悪口言う?(笑)みたいな感じでそのようになっていくのかもしれませんね。あくまでこれは根底にある部分であって、表現している表面のものとは違うかもしれないですが・・・。
 しかし、それほど歌詞そのものを重要視はしていないと自分では思っています。

 メロディーについても、さほど考えてはいないようで、歌詞同様に「コードワークの中で適当にハマっていればいい」みたいな感覚もあります。
 「感動的なメロディー」なんて考えてもおらず、心地良いリフレインのひとつがメロディーという感覚かもしれません。

 グルーヴやカッコいいリフ・・・という感覚は多少ありますが、ぼくの場合はリフという感覚が歌のメロディーだったりすることもあり、要はボーカルもひとつの楽器という概念で捉えているし、ギターもメロディー楽器としてだけではなくリズム楽器としてとらえるし、メロディックな太鼓やベースとか、そういったリズムとメロディの区分けでなく楽器は楽器としてしか考えていないところがあります。
 ですから、ギターとベースがまったく違うリズムだったり、ドラムのハイハットのリズムと絡んだギターのリフと、バスドラムとスネアと合致するベースのリフはまったく違うリフだったり、全部が違う節でのリズム(ポリリズム)で複合的に作られたリフだったり(当然ボーカルもひとつのリズムとして)、そんなものが好きだったりします。
 でも、音楽的にはどシンプルなロックンロールが一番好きなのですが・・・(笑)

 気持ちいいは、気持ち悪いがあって気持ちいいなので、気持ち悪いをつくる事が気持ちいいの入口なのかな・・・。
 聡明に感じるものはひどいバカさがあって聡明を感じるし、悲しさがあるから喜びもある。
 悲しいから笑いを考え、恐れるから勇気を出す・・・。
 本当の人生はその中間付近をフラフラしていることが多いので、そんな両極端が音楽に求められている・・・普段よりちょっとだけ大袈裟な表現になることが自分としては大切だと感じているようです。
 とはいえ、もともとはかなり恥ずかしがりで引っ込み思案だったぼくですから、自分が役者のごとく人前で両極端を表現などできるはずもなく、中途半端な道化役をやるのが自分らしさになっています。
 いわゆる、体制に変化を与えないどうでもいい存在、面白いというほど面白くないし掴みどころのないような居てもいなくてもわからない奴だし、音楽的にも無意味な存在かもしれないなと思います。

 そうですね、人にはいろいろなタイプがあると思いますが、例えば女性に対するアプローチ・・・というのも、人それぞれだと思います。
 同じ恥ずかしがりだったとしても、恥ずかしいから女性に告白しない・・・というタイプもあるかと思いますし、カムフラージュというわけではありませんが、とりあえず周囲の女性に片っ端からアプローチして儀礼的にしておいちゃうタイプ(本当に好きな人が周囲にわからない)みたいな、極端に行動が逆の恥ずかしがりがあると思うのです。(ぼくは当然後者のピエロ型でした。)
 答えは同じ恥ずかしがりだったとしても、一概に同じスタイルとは限らず、行動スタイルは正反対だったりするのかなと感じます。
 人の行動スタイルや嗜好は、得意な行為や優れた思考から来るよりも、劣等感と裏腹にある武装?のようなものに近いのではないかと思います。

 生きるという意義を考えても、人間は愛の実践を完成させるために生きていると非常に綺麗事かつ上昇志向で捉える人もいれば、他人を蹴落として生き残ることだとハードボイルドな人もおり、なんとなく気楽に生きたいと楽観的な人もいるし、もっと生物学的に殺して食して排泄して死亡する・・・という超現実視タイプな人もおられるでしょうし・・・。
 ちなみにぼくは、綺麗事タイプと楽観的タイプの複合型かもしれません。少なくとも、ハードボイルドや現実視ではありません。

 そう言ったタイプが聞き手の方と合致したり、または正反対だったりして「それもいいな」というところから、その歌詞・メロディー・全体を構成するアレンジというような複合されたものを気に入ったり、演奏者のタイプを決めているのではないかなと感じています。

 ぼくが感じる音楽表現で重要なことは、ひとりでは優れていない人間だから、数人が寄り添い一つの音楽を奏でる・・・どの楽器が絶対の中心ではなく、そのバンドのバランスで、個々ではなくて集まりが一つの塊を作っていく・・・。
 そう、その一つの塊は石であり意志となり、転がる石ころのような・・・そんなサウンドが、ぼくの目指すロックなのかなと思います。
 それぞれの様々な物質が個性ある石という一つの塊になることが魅力と考えているようで、あくまでも個人ではなく、バンドというものが一つの単位になっている考えであることが特徴です。
 さらに綺麗事と楽観的というものも方向性のキーワードになっているはずです。
 最大に重視しているのはメロディーでも歌詞でもグルーヴでもなく、バンドとして作り上げる個性だと思っているということですね。

 
 

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