「なんなんだ。。。このタイトルは?」と思っていただけたでしょうか(笑)。
実はまだぼくが20歳代の頃、所属していた"Kenmi MissTones"が1985年でしたか・・・解散して、その後に地元でやっていたブルース・ソウルのバンドもやめて、1987年にベース村上と一緒にはじめた"Wonder Boys"というバンドが今のぼくたちの前身バンドなのですが、その1987年に最初に作ったオリジナル曲が「Goodbye Memphis」という曲です。
その曲を、2月21日のライブでだけ復活させようという計画なので、この日記を書いています。
予告編~(笑)
https://www.magisto.com/album/video/KiMmAFJWC0l7IS8GDmEwCXx5
1980年代はぼくにとっていろいろ転機のあった年代でした。
前述の"Kenmi MissTones"でメジャーに羽ばたきたいと夢を持っていましたが、夢破れて解散する際、他のみんなは楽器のプレイヤーとしてしっかり仕事をしていた人たちなのに比べ、ぼくは専属の仕事はなく、アルバイトのようにトラの仕事ばかりでしたし、ぼくは楽器プレイヤーとして一流になりたいとは望んでいなく、ロックバンドのギタリストとして認められたいと願っていたため、心血を注いだバンドの解散は、イコール「プロとして音楽活動をすることを諦める」ということになったのでした。
"Kenmi MissTones"というバンドは、ぎんざナウというテレビ番組で木曜日のレギュラーバンドとして人気のあったレッドショックというバンドのボーカルだった宮崎謙実を中心としたロックバンドでしたが、当時のぼくはブルースやスタックスソウル同様にアメリカ西海岸のフォークロックやザバンドが好きで、このバンドはそういったアメリカ西海岸のフォークロックやザバンドを意識したものに仕上げていました。
曲はすべて宮崎謙実の作詞・作曲でしたが、アレンジはぼくが中心となって行っており、当時のぼくの好みのままのサウンドが出来上がっていたといっても過言ではないと思います。
脳が足りないアホなぼくにそれが常に実験出来たのも、当時のメンバー岡澤敏夫・鎌田浩・中村英雄・武田敦の演奏陣のレベルの高さが実現してくれたところでした。
そんなバンドが解散して意気消沈したぼくは、とりあえず結婚という一大イベントを行い、しばらく地元で並行してやっていたブルースバンドを続けるのですが、オリジナル曲を中心としたロックバンドをやりたいぼくに対し、彼らはあくまでブルースやソウルのコピーのみでオリジナルはやらないという方向性に決まったこと等もあり、ぼくは脱退します。
続いて同バンドでベースを弾いていた村上も脱退したのですが、その話を聞いたのはかなり時間が経過してからでした。
バンドはなくなったし子どもも生まれたし、「もう音楽活動はやめようかな…。」そう思っていたころ、ベース村上と電話で話したところ、お互いに「クルマを買い換えた。」という話題で盛り上がりまして、実はほぼ同時に同じクルマ"Austin Rover mini"を購入したという偶然にビックリしました。
村上とは親のクルマでも東京オリンピック開催の際にたった1日の販売で銀座松屋で抽選会があった同じ限定車のいすゞベレットに乗っていたり、ことクルマに関しては不思議な共通点があります。
そんな話で盛り上がり、ついでにオリジナル曲中心のバンドをはじめないか・・・という話になって、旧友の西野と大学時代の後輩の片渕の4人ではじめたのが"Wonder Boys"でした。
まっ、このメンバーできちんと活動できたのは1987~2016年までのこの29年間のうち、たぶん1年半くらいしかなかったかもしれません(笑)。
最初の1年はしっかりバンドとして30cmLPレコードも作りライブ活動も行っていましたが、後は殆どメンバーのうちの誰かひとりとぼくの二人のユニットでした。
まあ、今も最初の村上と二人に、実の娘のユニットなんですけどね(笑)。
バンドをはじめた当時はまだボーカル担当娘の美妃は生まれてなかったわけです(笑)
そんなわけで、どうしてもオリジナル曲がやりたいぼく・・・、しかし、1980年代は作詞などまったく出来なくて、この「Goodbye Memphis」が自分の作った曲としては3曲目のオリジナルでしたが、いづれも友人に詞をお願いしており、この「Goodbye Memphis」もKenmi MissTones時代のボーカル宮崎謙実に書いてもらいました。
作詞の宮崎謙実氏からは特になんの説明もありませんでしたが、曲とメロディーを聞きながらサクッと書いてくれた詞です。
メッセージもなければ特に何もない内容なのですが、普通の方が聴けば何も感じない「田舎の少年が新天地を求めて旅立つ歌」なんでしょう。。。
けれど、ぼくにはとてもリアルで心にしみる、その時のぼくの心情を表した内容だったのです。
さすがにぼくの兄貴分、ぼくを良く見てくれているんだ。。。と有難く感じる歌詞でした。
すなわち「Goodbye Memphis~この街から西へ向かう」は、Memphisといえばソウルでありスタックスですし、新たにはじめる"Wonder Boys"は西海岸風のオリジナル曲バンドと謙実氏には言っていたので、「ソウル・ブルースのバンドを離れてぼくはぼくの道を西海岸風のサウンドに求めていくよ。」というその時のリアルな気持ちを表していました。
その中には"Kenmi MissTones"のことも含めて「通り過ぎていくメモリー」の言葉で総括されたぼくの心や思い出。。。
聴いている方にとっては聞き流す感じの曲だし、インパクトもない曲に歌詞かもしれませんが、当時のぼくにはもの凄くリアルで感動的でした。
しかし、この曲のサビ、なぜキャサリンなのか?
それがとっても謎です。
キャサリンとは何者???
一時期、村上の自転車の名前がキャサリンでしたが。。。
そんな1987年の「Goodbye Memphis」、2月21日のライブたった1度だけ復活します。
よろしかったら、2月21日(日)午後2時、東横線「白楽」駅下車、六角橋商店街仲見世の"Sammy's Hawaiian Cafe"、ご来場いただければご覧いただけます。
COMMENT